------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ 例 黒須《くろす》 太一《たいち》 【読み進めるにあたって】 ストーリーは 1,「CROSS†CHANNEL」からはじまります。 順番はこの下にある【File】を参照のこと。 このファイルは CROSS†CHANNEL  1,「CROSS†CHANNEL」 です。 ------------------------------------------------------- FlyingShine CROSS†CHANNEL 【Story】 夏。 学院の長い夏休み。 崩壊しかかった放送部の面々は、 個々のレベルにおいても崩れかかっていた。 初夏の合宿から戻ってきて以来、 部員たちの結束はバラバラで。 今や、まともに部活に参加しているのはただ一人という有様。 主人公は、放送部の一員。 夏休みで閑散とした学校、 ぽつぽつと姿を見せる仲間たちと、主人公は触れあっていく。 屋上に行けば、部長の宮澄見里が、 大きな放送アンテナを組み立てている。 一人で。 それは夏休みの放送部としての『部活』であったし、 完成させてラジオ放送することが課題にもなっていた。 以前は皆で携わっていた。一同が結束していた去年の夏。 今や、参加しているのは一名。 そんな二人を冷たく見つめるかつての仲間たち。 ともなって巻き起こる様々な対立。 そして和解。 バラバラだった部員たちの心は、少しずつ寄り添っていく。 そして夏休み最後の日、送信装置は完成する——— 装置はメッセージを乗せて、世界へと——— 【Character】 黒須《くろす》 太一《たいち》 主人公。放送部部員。 言葉遊び大好きなお調子者。のんき。意外とナイーブ。人並みにエロ大王でセクハラ大王。もの凄い美形だが、自分では不細工の極地だと思いこんでいる。容姿についてコンプレックスを持っていて、本気で落ち込んだりする。 支倉《はせくら》 曜子《ようこ》 太一の姉的存在(自称)で婚約者(自称)で一心同体(自称)。 超人的な万能人間。成績・運動能力・その他各種技能に精通している。性格は冷たく苛烈でわりとお茶目。ただしそれは行動のみで、言動や態度は気弱な少女そのもの。 滅多に人前に姿を見せない。太一のピンチになるとどこからともなく姿を見せる。 宮澄《みやすみ》 見里《みさと》 放送部部長。みみみ先輩と呼ばれると嫌がる人。けどみみ先輩はOK(意味不明)。 穏和。年下でも、のんびりとした敬語で話す。 しっかりしているようで、抜けている。柔和で、柔弱。 佐倉《さくら》 霧《きり》 放送部部員。 中性的な少女。 大人しく無口。引っ込み思案で、人見知りをする。 でも口を開けばはきはき喋るし、敵には苛烈な言葉を吐く。 凛々しく見えるが、じつは相方の山辺美希より傷つきやすい。 イノセンス万歳。 桐原《きりはら》 冬子《とうこ》 太一のクラスメイト。放送部幽霊部員。 甘やかされて育ったお嬢様。 自覚的に高飛車。品格重視で冷笑的。それを実戦する程度には、頭はまわる。 ただ太一と出会ってからは、ペースを乱されまくり。 山辺《やまのべ》 美希《みき》 放送部部員。 佐倉霧の相方。二人あわせてFLOWERS(お花ちゃんたち)と呼ばれる。 無邪気で明るい。笑顔。優等生。何にもまさってのーてんき。 太一とは良い友人同士という感じ。 堂島《どうじま》 遊紗《ゆさ》 太一の近所に住んでいた少女。 群青学院に通う。 太一に仄かな恋心を抱くが内気なので告白は諦めていたところに、先方から熱っぽいアプローチが続いてもしかしたらいけるかもという期待に浮かれて心穏やかでない日々を過ごす少女。 利発で成績は良いが、運動が苦手。 母親が、群青学院の学食に勤務している。肝っ玉母さん(100キログラム)。 桜庭《さくらば》 浩《ひろし》 太一のクラスメイト。放送部部員。 金髪の跳ね髪で、いかにも遊び人風。だが性格は温厚。 金持ちのお坊ちゃんで、甘やかされて育った。そのため常識に欠けていて破天荒な行動を取ることが多い。が、悪意はない。 闘争心と協調性が著しく欠如しており、散逸的な行動……特に突発的な放浪癖などが見られる。 島《しま》 友貴《ともき》 太一の同学年。 元バスケ部。放送部部員。 実直な少年で、性格も穏やか。 激可愛い彼女がいる。太一たち三人で、卒業風俗に行く約束をしているので、まだ童貞。友情大切。 無自覚に辛辣。 【File】 CROSS†CHANNEL  1,「CROSS†CHANNEL」  2,「崩壊」 CROSS POINT  1,「CROSS POINT(1周目)」  2,「CROSS POINT(2周目)」  3,「CROSS POINT(3周目)」 たった一つのもの  1,「たった一つのもの(1周目)」  2,「たった一つのもの(2週目)」  3,「たった一つのもの(大切な人)」  4,「たった一つのもの(いつか、わたし)」  5,「たった一つのもの(親友)」  6,「たった一つのもの(謝りに)」  7,「たった一つのもの(Disintegration)」  8,「たった一つのもの(弱虫)」 黒須ちゃん†寝る  1,「CROSS×CHANNEL(ラスト前)」  2,「黒須ちゃん†寝る」 ------------------------------------------------------- CROSS†CHANNEL 1,「CROSS†CHANNEL」 最古の記憶は。 日付さえおぼろげな、遠い霞のなか。 貴族的な気品を抱く、豪華な私室。 そこには天蓋つきの寝台も欧羅巴《ヨーロッパ》製の椅子もあった。 けど床に座るのが一番好きだった。 こんな日は特に。 窓から見える黒の帳は星月夜。 枠に切り取られた散在する瞬きに目を奪われる。 外界と室内を隔てる窓ガラスに、己の姿が映る。 深窓の令嬢——— 洋風のドレスに身を包む、楚々とした少女。 きみはいったい、だれですか? 少女「……太一」 世界は美しい。 ここから街を眺め渡すたび、なにをとち狂ったかそう思う。 でも美しいものはしょうがない。 青々とした夏の大気。 一言で形容してしまうのが惜しいほど優美で。 峠からの眺望は、いつもそんな所感を抱かせる。 ひそやかに息づく木々の合間からは、山々によって外界から隔絶された白い建物群が見えた。 街だ。 真新しく清潔、かつ閑静な地方都市……のはずれ。 つまりはしっこだ。 市の本体はというと、激険しい山を挟んで向こう側にある。 ちなみに向こう側にはデパートもあり、時間さえかければ都心にも出られる路線がそのつま先を置き、レンタルショップはおろかゲーセン・本屋・飲み屋・出張(ヘルス)まである。 飽食の極みを迎えた文明の、爛熟《らんじゅく》した果実がここにある。 通称『都会』。 さて、こっち側。 民家が山のようにある。 山も山のようにある。 あと学校がある。これは一つしかない。 他に目立ったものといえば、大自然ぐらいのものか。 都会に傅《かしず》き、そのおこぼれで日々を営み、馬車馬のように働く人民を迎え、送り出し、時には生みだし(大人のジョーク㈰)、夜は優しくも高らかに眠らせあげるのである。 要するにベッドタウンだ。 同じ市なのに。 深い政治的事情がありそうだ。 なお地図上では、二つの地を分断するこの雄峰、『丘』ということにされている。 どう見てもそんな可愛らしい代物ではない。 地図で見て文字通り丘と勘違いし、ワイフとマイサン引き連れてハイキングになど行こうものなら、家族ぐるみで遭難することうけあいである。 都会との交通手段は、電車と未舗装の山道しかない。 一応、反対方向の峠まで行けば、道がある。 ただし本当に遠回りになる。 それくらい無駄に距離がある。 田舎です。 以前、クラスの桜庭《さくらば》という男が、 桜庭『このNEWチャリで峠を制覇してみせる。これって、今の俺には必要なことだと思うから』 と歯を輝かせながら旅だったことがある。 で。 桜庭は丸三日帰宅せず、警察の御出動と相成った。 買ったばかりのマウンテンバイクを軽く試し乗りしようとしたらしい。 が、調子に乗って隣町の相原市(超遠い)へあと五キロという地点にまで到達したところで故障。 車通りの少ない峠の道路を敗走途中、現行犯逮捕された。 桜庭の家はクラスメートの桐原《きりはら》と同じくらい金持ちで、親も過保護だ。 西の桜庭、東の桐原と呼ばれる。 桐原は武士の家系で、その娘も貴族娘っぽい厳格な雰囲気。 家族揃って苦虫を噛みつぶしたような顔をしていて、毒舌で、全体的に愛がない。 通称『ハラキリ』。 桜庭一族は正反対におっとりとした一族で、父親は盲腸の痛みに気づかず死の一歩手前まで旅だったという武勲の持ち主だ。 その天然冒険魂は、確かに息子に継承されていたわけで。 夜中になっても帰宅しない息子を案じて『誘拐されたんです!』と警察に駆け込むあたり、桜庭一族のまろやかな天然さが垣間見えて面白い。 桜庭は関係者に滅茶苦茶叱られ、自転車は没収された。 くわえて学校中の笑い者となった。 校内新聞一面の座を永らく独占し続けもした。 特にインタビューで奴が口走った内容が受けに受けた。 桜庭『緊急特報! 蓮ヶ丈奥地に謎の人工建造物を見た!』 桜庭『完全踏破12時間、秘境の奥地に隠された禁断のオーバーテクノロジー!!』 桜庭『長い道のりの果て、ここで我々はいまだかつて想像だにしなかった衝撃の事実を見ることになる!』 無茶苦茶だ。 要するに奴は、帰宅の途中、道を外れて山に入ったわけだ。 おそらく近道目的だったんだろう。 そして偶然、とある施設を発見して大興奮した。 インタビューはこの後も、凄まじい展開となった。 桜庭『秘密基地が』 桜庭『衝撃の』 桜庭『武装した兵隊らによって』 桜庭『人類の常識を覆す』 本インタビューで使用された単語ベスト5。 第一位「謎」22回 第二位「衝撃」19回 第三位「発見」17回 第四位「禁断」6回 第五位「戦慄」4回 校内新聞は、桜庭という美味なる獲物を骨の髄までしゃぶり尽くした。 桜庭は報道の残酷さを思い知った。 その後、ストレスで腹を下して一週間ほど下痢をした(記事になった)。 八日目の朝にはけろっとした顔で登校してきた(取材された)。 髪を金髪に染めて(特集記事・異論反論オブジェクションのネタになった)。 以来、奴はずっと金髪ライフ。 きっと、新しい自分になる、という錯覚を己に課すことでストレスを克服したんだろう。 ……これが元で金銀コンビなどと称されることになったわけだが。 閑話休題。 もちろん桜庭が見た外宇宙から来訪した超知的生命体が極秘裏に建築した施設というのは原子力発電所なわけだが、これは市民に豊潤なる富をもたらした。 二束三文の土地が、みるみるうちに札束に変わった。 近代化が進み、文明が開化した。 富豪が何人も誕生し、ビルが建ち、人が増えた。 土地は安く、税金も安い。 電気代はタダだ。 だから街には無意味な照明が無数にある。 だからといって、ベンチにライトを仕込むことはないだろうに。 市はそのテーマを『癒し』と定めた。 原子力発電所などというものを抱えている僻地が、いかにも掲げそうなお題目である。 市役所に至ってはロココ様式のそれはもう耽美的な建物で、外観から内装に至るまで『汝を癒してやろう』という厳かな気概に溢れ、来庁者を萎縮させまくっている。 ちぐはぐな土地。 だから……居心地が良いのかもしれないな。 壊れてしまった世界は、妙に親近感を抱かせる。 太一「……」 太一「いて」 軽薄な音がした。 頭がかくんと傾く。 首筋の筋がひきつって、ものすごく痛い。 太一「……なんだよ」 振り向けば、そこに少女が一人。 太一「なんだ、女帝か」 少女「……」 太一「女王陛下にはご機嫌うるわしゅう」 片手をあげて挨拶する。 少女「……」 エスプリのきいた言葉には、ウィットに富んだ返しがあってしかるべきなのだ。 少女『くわ〜っ、誰が女帝か〜っ、馬鹿言ってんじゃないですわ、すわすわっ!!』 そんなような。 だが期待したような返答はない。 それどころか冷然とした怒気さえ感じられた。 太一「どうしたの、桐原。ノリ悪いよ」 太一「もしかしてアレ? 生理っぽいやつ?」 少女「…………」 空気がどんどん重くなってく。 でも止まらない。 太一「月桂冠」 少女「黒須太一……」 怒りの波動が膨れあがる。 太一「赤飯」 とうこ 冬子……桐原の下の名前、内心ではバリバリ呼び捨て……の額のあたりがひきつった。 少女「のぉっ!」 実際には『こんのぉっ!』と言ってる。 舌ったらずなのだろう。 彼女の特徴的イントネーションだ。 令嬢然とした冬子が、口調に未熟さを残しているのは、正直笑えた。 と。 ごっ 太一「……ぐふっ!?」 チンだった。 クリーンヒットだった。 避ける暇もなかった。 拳に突き上げられ、のけぞるように顎先が天をさす。 桐 原 流 奥 義 積 極 直 撃 ゲームっぽい架空エフェクトが、脳裏に踊る。 冬子「……撤収手伝いなさいよ」 低い声だ。 これ以上ごねるなら今度は空じゃなくて地面にKISSすることになるぜ。 暗にそう申しておられた。 太一「はい、テツダイマス(ガクガク)」 無言で俺の耳を引いてキャンプ場に向かう。 太一「あっ、あっ、いたいですーっ」 冬子「殴った私の手も痛いわ」 太一「それは心を鬼にして子供を叱った母親だけが言っていいセリフ」 冬子「男手少ないんだから、キリキリ働きなさいよ」 太一「働いたじゃないか、合宿中にたくさん……」 冬子「最後まで気を抜かないの」 太一「……ちょっとの休息も許されない」 俺は戦士か。 太一「桐原」 冬子「……なに?」 太一「合宿、来てよかったろ?」 冬子「…………」 冬子「(ぷいっ)」 無視された。 会話はずまないことけたたましい。 これでも今日は滅茶苦茶話している方だ。 今日みたいにかけあい漫才をすることの方が、むしろ珍しい。 冬子「軽いあたま」 太一「はい?」 冬子「殴ったとき、空っぽの音がしたから」 冬子「そろそろ脳細胞、分裂させておかないと、大人になった時につらいわよ?」 太一「失敬だな。弁護士は通っとるのか? ああん?」 冬子「ほんっと……疲れる……きみ……」 盛大にため息をつかれると、こちらも萎える。 黙って連行される。 視線はついつい、高そうなワンピースをしっとりとまとわりつかせた臀部に。 太一「水蜜桃」 聞こえないようつぶやく。 冬子「触ったら沈めるから」 太一「……」 ど、どこに?(ブルブル) 冬子「せっかく夏期休暇、一週間無駄にした気分よ」 太一「意訳すると、楽しい合宿も終わりかにゃー、って感じだな」 冬子「……脳割れてるんじゃない?」 割れてる。 太一「俺は楽しめたけどね」 冬子「ふん」 太一「……楽しんだくせに(ぼそっ)」 冬子「な・に・か・言った?」 太一「いいえなにも、サー」 一週間の合宿。 ほんの幾度か、彼女の笑顔を見た。 憮然とした顔つきがデフォルト設定の冬子だ。 楽しんだに違いないのだ。 だってテント張って機材並べて。 合宿はまるで別世界みたいだったから。 太一「いてててててっ!?」 耳を引く力が強まった。 林道を抜けて、広場に出る。 光が満ちる。 輝かしい陽光。 冬子「撤収、もうだいぶ終わっちゃってる」 少女「こらあっ、そこのおサボなふたりーっ」 声がぽややーんと響いた。 独特の声質。 我らが部長だ。 冬子「私は違います私は!」 太一「いてててっ、走るな危険! 特に俺の耳が危険……あっ、あっ、そんなに強くしたら裂けるぅ、裂ける裂ける裂ける裂ける!! 大事なトコ裂けちゃうーーーーーーーーーーーーーーっ!!」 部長「やぁ、なにかHそうなことやってますっ!?」 部長「停学、停学ですよ〜っ!!」 焦って震える部長の声。 太一「わはは」 冬子「こ、この匹夫《ひっぷ》……」 太一「いたっ」 ようやく解放された我が愛耳と、叩かれた頭を同時に撫でながら。 笑み。 太一「ニシシ、いたい」 太一「さー、仕事仕事っと♪」 冬子「この男は……」 軽く走る。 冬子「まったく……」 冬子のため息が追いかけてくる。 部長の背後には、みんながいた。 二人で、みんなのもとに。 太一「おーーーーーーーーいっ!!」 わけもなく呼びかける。 広場で機材の後かたづけをしていた五つの顔が、一斉にこちらを向いた。 視線が集まると無茶したくなる。 シャツを脱いで裸になった。 冬子「やだっ!?」 背後、お嬢が引きつるように叫んだ。 構わず裸で駆ける。 乳首が風とコラボレーションする。 五組の視線を感じる。ますます気が高ぶる。 太一「俺を見てくれーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」 五つの顔が、表情ひとつ変えずに元の向きに戻った。 連携ピッタリの超上級放置プレイ。 太一「アハッ」 馬鹿馬鹿しくも、愉快で。 ただ今だけが楽しくて。 合宿が終わる。 新学期がはじまる。 また日常がやってくる。 当たり前の明日がやってくる——— CROSS†CHANNEL 今日から新学期。 女っ気のない当家におきましては、起床→通学過程における萌え要素は皆無ゆえ、いちいち思考をなぞることもなく、さっくり外に出た。 一ヶ月半ぶりの通学。 いい天気だった。 まだ九月初頭なのに暑すぎることもない。 前髪がかすかにまぶたにかかる。 それだけが少し不快。 太一「切っておきたかったなー……」 鬱陶しい。 色のせいもあるけど、あまり自分の髪は好きじゃない。 太一「はー」 前髪をいじりながら通学路に出た。 てくてく歩く。 今度誰かに切ってもらうか。 うん、そうしよう。 少女「おいっす」 太一「ちわっす」 自転車に乗った少女が、ごく自然なタイミングで隣に並ぶ。 よたよたと、それでも器用にバランスを取りながら併走。 徒歩の速度でよくこけないもの。 自転車はいかにも高そうなバイクタイプ。 快活そうな彼女には、よく似合ってる。 少女「よっと」 軽くウイリーなどしてみせる。 あ、パンツ見えた。 白い。白すぎる。 純白だ。 やっぱ純白ってのがいいなあ。すごくいいなあ。 もっと見たいなぁ。 あ、もう見えないや。 がっくし。 少女「ねえ、たいっちゃん裏山って行ったことある?」 一枚の布きれで男心を見事にくすぐった少女は、首だけでこっちを向いた。 太一「あるよ。こないだまで合宿してた」 少女「夏休み中?」 太一「そう」 少女「……ふーん、それでか」 太一「それでって、なにが?」 少女「いや、あの一帯ってさ、神様がいるんだよね」 二人はしばし見つめあった。 そして突然同時に。 太一「わははははは」 少女「あははははは」 太一「わはははははははははは」 少女「あはははははははははは」 少女「もんのすごい御利益があるわけさ」 太一「何事もなく続けないように」 少女「いや、笑いたくなるのはごもっともですよ。あたしだって人からンなこと真顔で言われたら笑うわ」 太一「だから俺を笑かすために真顔だったのだろうに」 少女「そうだけど……でもちょっと真面目な話なんよ、これ」 太一「神様が?」 少女「そう」 太一「神様って英語で言ったらゴッドなんだぜ?」 二人はしばし見つめあった。 太一「わははははは」 少女「あははははは」 太一「わはははははははははは」 少女「あはははははははははは」 少女「……話すすまないよぅ(泣)」 太一「よしよし、聞いてあげるから。なに、神様がどうしたって? そもそもそれはどんな神なの?」 少女「あー、それは七香さんも知らないな」 太一「はっ……!?」 その瞬間、俺はピンと来た。 太一「おい大発見。漢字で書くよりひらがなで『ななか』って方が萌えないか!?」 七香「知ってる」 しれっと言う。 唐突な路線変更にめげるタイプではないらしい。 七香「ほら、ほこらあるでしょ。ほこら」 太一「ホコラってカタカナで書くと感染力の高い病気みたいだよね」 七香「ほら、ほこらあるでしょ。ほこら」 二度も乗る気はないらしい。 太一「林道の脇にある?」 七香「そーそー」 七香「ほっ!」 自転車が再度ウイリーして、さらに後輪だけで跳ねた。 何の脈絡もないが、なかなかの技だ。 太一「ゴイシャス」 ※ゴイス(凄い)+デリシャス 七香「だろー」 誇らしげな笑顔。 ここだけの話、ちょっと惚れた。 七香「ほこらの神様ってのが激ゴイシャスでさ」 七香「核戦争がおこっても守ってくれちゃうくらい御利益があるって話だ」 太一「嘘くさー」 太一「どんなガン保険も本気を出したガンには無力なもんだよ」 七香「いや、論点ずれてるし」 太一「21世紀の神様はもっとミニマムかつピンポイントでいいんですよ」 太一「彼女が自分よりかっこいい男にふたまたかけて肉体関係が発生した時に、携帯メールでそのことをリークしてくれる神様とかね」 七香「それ肯定できちゃうくらい権利意識が細分化してる社会ってのも、末期的だよね」 太一「日本は冷静に狂ってるからね」 七香「セヤッ」 今度は前輪で倒立する。 これは驚く。 太一「うわ、その自転車すごいな!」 七香「自転車の方かい……」 太一「乗らせて、乗らせて!」 七香「駄目。素人お断り」 太一「ひどい」 七香「前も父が勝手に乗ってくれちゃってさー」 七香「しかも転んで傷つけて戻ってきてさ」 七香「もー大喧嘩したねー」 七香「傷のこと問いつめたらしらばっくれるしね」 太一「……パパも大変なんだよ」 七香「母に言いつけたさ」 太一「鬼か」 七香「父おこづかい三ヶ月減らされてやんの」 太一「国民的家族像を思わせるシンプルな感情の流れだな」 七香「ちょうどその時、父は同僚のパソコンにネットワーク経由で悪戯しかけてさ……卑語フォルダってのを自動生成するプログラムで相手の公開フォルダを卑語だらけにするっていう」 子供おとなだ……。 七香「ところが仕掛ける相手を間違えて、上司のパソコン卑語まみれ!」 太一「わははははは!」 七香「あははははは!」 アホだこいつの親。 七香「そんで仕事でも減俸三ヶ月くらってるの。もー母と大爆笑!」 太一「……そんな家族ばっかりだったら世界も平和であるだろうに」 七香「ま、もうおらんがね」 太一「へ?」 くいっ また自転車でウイリーをした。 あ、パンツ見えた! 再見! 七香「いよっと」 また見えた、あっ、あああっ!! ああああああああああああああっ!! 純白純白純白純白!! 食い込み食い込み食い込み!! 天晴れ桃色吐息っっっ!!!! 太一「うっ」 ひざまずいた。 七香「どうしたの?」 太一「……ちょっと知能下がりすぎてやばかった、今……」 七香「あー、きみのちのーは不安定なのかね?」 太一「サドルってときに気持ちよかったりする方?」 七香「はい?」 太一「なんでもない……忘れてくれ」 ようやく理性が戻ってきた。 どうも突発的なエロイベントに弱いな。 立ち上がる。 太一「さ、学校に行こう」 七香「どうして前屈みなの?」 太一「……そんな幼女のような無垢な口調で問うのか」 七香「?」 太一「極めて下方に関わる空間的な問題によって、としかコメントできないな」 七香「腰が痛いんだ」 太一「だからおぼこは……」 七香「おぼこってなに?」 太一「腰が痛くてね」 七香「ふーん」 よし、ごまかした。 七香「気をつけなよー。子孫繁栄がやばいぞ」 太一「子孫作りてぇー」 七香「呆れるほど欲望に正直な子だな」 太一「……不意を突かれると本音が出るんだ」 さすがに今のは反省したくなった。 太一「どんな男だって可愛い女の子を見たら、むくむくと欲望が鎌首をもたげてレッドスネークカモンなんですよ」 太一「レッドスネークカモォンなんだよ、きみ」 太一「あ、でも普段はブルースネークで安全なんですよ?」 七香「中間がイエロースネークだったり?」 太一「そう、いわゆる半勃……」 言ってて自分で不安になった。 こわごわと振り返って、 太一「……呆れた?」 七香はにこりと笑う。 七香「ううん、嬉しい」 太一「は?」 七香「ほらほら、歩く歩く」 七香「海綿体がねんねするまで後ろ走ってあげるからさ」 太一「とうに気づいてるんじゃねぇかこのアマ……」 自転車事件の桜庭ばりに深い傷を負った。 七香「おー、学校がー、見えて参りましたー♪」 七香「白いねー、新しいねー、金かかってるねー」 太一「転校してくる?」 太一「今なら無試験で当日編入可」 七香「制服は?」 太一「ぼ、ぼくが用意してあげげげげげ」 七香「……胸のところ丸く切り抜いた制服ダロ?」 太一「ヒィッ、そんな鬼畜なことしません!?」 太一「……ただスカートのサイズがその、丈が普通のより三センチ短いやつしかないんだ……そ、それでもよかったららら……」 七香「根性のないセクハラだな……」 七香「さってと、あたしもそろそろ行かないと」 くるりと自転車が回転する。その場で。 彼女の運動神経はちょっとしたものだった。 七香「少年、裏山のほこらの話、あれホントなんだ」 太一「……え?」 言葉の意味が、なかなかのみこめなかった。 七香「どうしても行き詰まったら……行ってごらん」 太一「は、はあ……」 ふっと、表情が曇る。 七香「こんなこと言っても、何が変わるってわけでもないんだけどさ」 太一「七香……」 七香「おっと、シメっぽくなっちまいやがった、こいつぁいけねぇや」 ウイリーしてその場でくるっと。 一回転したときには、もう笑顔。 七香「じゃーねぃ♪」 束ねた指先を華麗に振って。 彼女は爪先をペダルにかけた。 太一「あ、ひとつ質問」 去っていく背中に。 七香「なぁにー?」 太一「どうして初対面なのに、俺の名前知ってたの?」 七香「うむ。その質問に答えるには……」 白い指先が俺をびっと指す。 いや、俺の背後だ。 振り返って、視界が学校をとらえて数秒。 返事がない。 目線を七香に戻す。 彼女はいなくなっていた。 自転車とともに。 早いで済まされる現象ではないのだが。 太一「…………ぉゃ?」 蝉も鳴いてない、静かな新学期だった。 太一「朝か……」 身を起こす。 変哲のない自分の部屋だ。 うるさく鳴いている時計を止める。 太一「ふわ……」 夏休みが開けて、9月の頭。 室内には夏の熱気がじわじわと満ちつつある。 のたくた着替えて、のたくた鞄を手にする。 食卓の上に、ラップをかけたサンドイッチが置いてある。 卵と野菜とポテトのサンドだ。 ありがたくいただくことにする。 太一「むぐ」 さすが、うまい。 生活能力皆無な俺にとって、この差し入れはまさに福音。 通学途中でコンビニ襲撃しないですんだ。 太一「いつもおいしいご飯、ごちそうさまです」 東側に手をついて頭を下げる。 さ、学校だ。 今日も暑くなりそうだった。 上見坂市はその名の通り坂が多い。 学校にたどりつくまで、いくつも斜面を越えていく必要がある。 学校に行くために、上り下り上り下り。 それはまるで人生のような波乱を思わせ、往く者の心と足をげんなりとさせるのである。 太一「だる」 慣れていてもだるい。 徒歩はまだいい。 自転車で坂を越えるのは、もっと大変。 自転車はそもそも平地用。 徒歩より厳しいのぼりと、一瞬で終わる至福のくだり。 苦難の時だけが延々と続いているような気にさせる。 坂のてっぺんで、商店街に繋がる交差点に合流する。 その先には団地があって、FLOWERSの片割れ、山辺美希が住んでいる。 美希は一年後輩。 世界的に激有名なファンタジー作品に出てくる三人組の、魔法使いの少女みたいな髪型をしている。 ルックスもまあ、似たようなものだ。 魔法は使えないが、言葉の魔法使いと呼ばれる。 しゃべり出すと止まらないし、しゃべろうとするのを止めることも難しい。 小娘の分際で語彙《ごい》も豊富なので、話していて飽きない。 美希はもう一人の一年生部員・佐倉霧とよくつるんでいる。 ロングヘアの美希と、中性的な容姿でショートヘアの霧。 二人揃うと花畑のように場に映える。 だからFLOWERS(お花ちゃんたち)。 部のマスコット的な存在だ。 美希はとにかくミニスカートが大好きだ。いつもはいている。 しかも素直で可愛い。ノリもいい。 俺もミニスカート大好きなことを差し引いても、気が合わない理由がない。 卒業するとき、制服をもらう約束も取りつけてある。 かわりに第二ボタンをあげようという提案は、丁重に断られてしまったけど。 太一「ちわーす」 商店街のはしっこにある店に入る。 『田崎食料』 太一「もしもーし」 奥に声をかける。 反応はない。 太一「……不在か」 田崎食料はここしばらく、不在続きだ。 ここの店主、田崎吾一郎氏(47歳・独身)は無類の鉄道マニアだ。 よくふらりと店をあけ、遠方の土地にローカル線の写真を撮りに行く。 で、その間も店をあけているのである。 つまり無人商店だ。 もともと道楽なのだろう。 30代の頃は泣く子を殺すと言われるほどに悪顔だった氏だが、ご両親の死後しばらくを経て、険の取れた豊かな顔つきへと変わっていった。 遺産以外の何が、元暴走族の粗暴な鉄オタを善人に変えうるというのか。 とにかく今は福顔の氏の店は、近隣の住人に対してはいくらで もツケてくれる希有《けう》な地元密着型店舗なのである。 持ち歩いているメモ帳に、ペンを走らせる。 『9/7、緑茶王、130円……黒須太一』 備え付けのテープで、壁にぺたりと貼りつける。 見ると、もう何枚ものメモが張ってある。 太一「あ、美希のやつ、もう行っちゃったのか」 『9/3、野菜ジュース健々GOGO、110円……山辺美希』 『9/3、マグナムライチ、110円……桜庭浩』『ピリッと辛いです』 『9/4、ペットボトル天然水、140円……宮澄見里』 『9/5、野菜ジュース健々GOGO、110円……山辺美希』 『9/5、キングドドリア、110円……桜庭浩』『あんまりおいしくなかったです』 『9/6、野菜ジュース健々GOGO、110円……山辺美希』 『9/6、胡椒警部、110円……佐倉霧』 『9/7、野菜ジュース健々GOGO、110円……山辺美希』 美希、ツケすぎ。 精算する時、大変だぞ、これ。 桜庭、感想いらない。 太一「ん?」 そのアホの桜庭の裏にもう一枚張ってある。 隠してある? 興味を引かれてはがしてみた。 『9/6、ペットボトル天然水×3、420円……桐原』 おやまあ。 お嬢様、欲張って三本も! お金持ちなのに恥ーずかしい、あーさましいー。 一番目立つところに張り直してやる。 ぺたりこ 太一「これでよし、と」 店の奥に行って、緑茶のボトルを一本取ってくる。 太一「じゃ、ツケということで」 店を出た。 緑茶を喉に流し込みながら、学校に向かった。 太一「おやま」 教室には先客がいた。 窓際の席。 立て肘をついて座っている少女が、ちらと一瞥をよこす。 冬子「……」 言葉はなく、視線を外に戻した。 太一「お早いご通学で」 冬子「……」 太一「しかもまた私服通学か」 太一「よくそんな暑そうな格好ができるな」 冬子「……」 無視。 太一「へいへい」 肩をすくめて、冬子のすぐ隣……自分の席に座る。 まるでハリネズミだ。 最近は、針に磨きがかかっている。 誰に対してもそうだから、気に病むこともない。 けど俺に対しての針は……少し毒を含んでいる気がする。 気のせいかもしれない。 自意識過剰なだけかも。 けど。 けれども。 そう考えただけで。 発作は起こった。 太一「いかんね。いかんいかん」 幸い発作は小さなもので、理性が消し飛ぶ危険はなかった。 逆流した胃液を呑み込む悪寒と引き替えに、そいつの頭を奈落に押し込める。 異形の舌先が、ちろりと地表を薙《な》いだ。 太一「なあ」 冬子「……何」 いい加減うんざりといった調子で、冬子。 太一「お尻のとこ、破れてパンツ見えてる」 冬子「…………!! …………!!」 慌てて立ち上がり、両手で尻をまさぐる。 太一「なんつったりして」 ばちーん!! 太一「ぐふっ」 不意の平手うち。 スリップダウン。 見事に転ぶ。 太一「いててて」 冬子はもう、先刻と変わらぬ姿勢で座っていた。 太一「冗談だってのに」 冬子「……」 相手をしてくれるつもりはないらしい。 澄ましていて排他的で。 でも意外と、心の隙は多い。 鞄を机に放って、冬子以外誰もいない教室を眺め渡す。 まだ始業まで間がある。 どうしよう。  ・屋上に行く  ・冬子と話す この時間だったら、朝練をやっているはずだ。 文化系で朝練というのもアレだが。 太一「ちょっと屋上に行ってくる」 太一「場合によってはサボリ。担任が来たら、代返よろしく」 冬子は鼻で笑った。 俺を露骨に見下せると思ったのか。 こういうところが、甘いと思う。 無視は無視で徹するべきなのに。 相手の価値を減じるため、歯牙にもかけずに空気のごとく素知らぬ顔で居続けるべきなのだ。 心組みに攻撃性が足りない。25てん。 引いては、彼女の俺に対する立場を示唆してしまっている。 冬子「……代返? なにを寝ぼけたことを」 太一「前向きなだけ」 平素に返して、廊下に向かう。 太一「君よりも」 冬子「よく言う……」 だが冬子は、それっきり言葉を押し出せない。 腰を浮かせてこちらを睨みつけているが、視線も彷徨いがち。 太一「気が向いたら参加しなよ、部活」 冬子「…………」 親の敵を見る目つき。 これ以上は、不和しか生むまい。 黙って教室を出る……のはやめて、いらぬ一言。 太一「マジ愛してるから」 教科書(持ってる)が飛んできた。 太一「おっと」 扉を閉めて楯にする。 わはは……人間関係って難しい。 扉を開くのに、少しだけためらいがあった。 今さらどの面さげて、と思いもする。 が、人間は気分の生き物で、今朝はそんな気分だったから。 自分への説明はそれで充分だ。 けど先輩は、どう思うだろう。 少し気になってしまった。 ノブをひねって、鉄扉を押し出す。 風が吹いた。 ちょうど踏み出た瞬間に。 だが不思議と、晴れ晴れとした気分にさせてくれた。 目線の先、広々とした給水塔が階段とは別にあって、その土台を共有して、大きなアンテナが立っていた。 太一「……へえ」 まだ未完成のアンテナ。 足りない部品と知識。 それらを前向きな気持ちでもって補いながら、少しずつ形にしてきた。 たった一人の少女が。 その、たった一人の少女は。 今、風に抱かれてアンテナと立っている。 嫉妬するほどに、憧れる。 宮澄見里。 見里先輩、だ。 太一「せんぱーい!」 呼びかけると、吹き巻く風に膜状になった黒髪が、大きくうねる。 こっちを向く。 つよい風が、つやめく長髪を激流のようにする。 見里先輩は苦労しつつ髪の流れを手で割って、顔をのぞかせた。 見里「……」 早くも強みを増しつつある陽光のもと、惚けた表情が張りつく。 夏日のうすらいとなって。 だからそれは、一瞬でとけおちるのだと知っていた。 見里「…………?」 ふっくらと色づく唇が、言葉を形作ってほころびる。 びょう、と耳元に怒鳴りつける突風が、しかし呟きをかき消した。 唇の動きで、なにを言っているのかはわかる。 にっこり笑って、応じた。 太一「来ちゃいましたー!」 見里「ぺけくん……」 太一「どーもー!」 両手を突き上げて叫ぶ。 と、先輩の目尻が下がる。 コマ落としのフィルムを見るように、柔和な面持ちに移ろっていく。 見里「どーもー!」 応じてきた。 いつもの彼女。 見里「どうしましたかー、ぺけくーん?」 太一「パンツ見えてますよー!」 なんてことを言ってみたり。 どうせまともに聞こえまい。 パンツは実際に見えていて、もっと近かったら理性がやばい。 強風からパンチラの可能性を充分考慮しており、前もって心構えをしていたため、 そのすらりとしていてなお肉感的な三年生女子の罪深い太股と、股間部を包む男心を鷲掴む抗えない逆三角の情熱を目撃してしまっても、どうにか平静でいられた。 ※男心を鷲掴む抗えない逆三角の情熱……太一語。女性用下着(ショーツ)の意。 太一の射程距離は上下に幅広いが、やはり年若い女性のものが好ましいとされる。一般に純白を最上とし、扇情的な色を最下に置くが、状況によって基準は変わる。 そうでなければ、あの肉欲の罪過を誘引せしめる三年生女子の臀部に、俺ごときのゴザ虫が欲情を抑えられるはずもなく。 見里「なーにー?」 太一「パンツ売ってくださーい!!」 見里「パン作ってください?」 太一「!!??」 八割方聞こえテールッ!(メキシカン調) 太一「ひひひひひ昼ご飯、一緒に食べましょうよー!!」 見里「おー、いーですよー!」 ぐるぐる拳を振り上げる先輩。 見里「でもパンなんて焼けないですよー、わたしー」 太一「そ、そりゃあ残念!」 見里「ごめんねー!」 なんとか誤魔化した。 やばかった……。 俺のダーティーな部分は先輩には秘密なのだ。 この人に軽蔑されるのは、ちょっとばかりつらい。 一人だった俺を……放送部に誘ってくれた人だから。 見里「それが用事だったのですかー?」 太一「ついでに部活に来ましたー!」 見里「つ、ついで?」 顔がひきつる。 太一「言葉のアヤ子さんです」 見里「はぁ……ちょっとお待ちくださーい」 見里「はい、お待たせです」 両手を前で重ねて、にっこりと微笑む。 ちょうど手の位置が、小俣を隠しているようにも見える。 ※小俣……太一語。股間の意。そこはかとなく擬人化されている。 脳内フォトシ○ップが立ち上がる。 0.1秒で起動だ。脳内だから。 まずパスで先輩の顔部分を背景から切り抜く。 アイドルグラビアから、似たような格好をしているヌード写真を探す。 まさにその格好をしている一枚があった。 だいぶ古いが、相撲取りとつきあったり激痩せしたりママが出張ったりして有名になったらしいアイドルのヌード写真集だ。南無。 ともかく、先輩の顔レイヤーとその写真を合成する。 いろいろといじりながら、接合部の余分な部分をぼかしながら消していく。 胸の部分が実際とは違うと思われるので、もっとふくよかな美乳を探して合成する。 ついでに生肌が露出している腕と脚の部分も、先輩のものを使う。 全体を見ながら、光加減を調整したり影を描き加えたりする。 肌の色の差は、薄い黄色の新規レイヤーを重ね、描画モードをソフトラインにすることで統一した。 背景がないのは寂しいので、先輩のレイヤーの下に厳かな聖堂画像を張った。 完璧だ。 十年使えるエロコラ、ここに爆誕。 すぐさま俺はそれを脳内HDDの『数学課題』フォルダ内にある『S級』フォルダに保存した。 S→A→B→C→Dと区分けされている。 Sが最強。Dが最低。 現実のパソコンでもそう区分けされている。 そして俺の遺言状の文面には、まず最初にこう書かれている。 『何も考えずにHDDを捨ててください(閲覧・形見分け絶対禁止、したら全霊力をかけて呪う)』 数学課題フォルダだけは、決して人に見られてはいけない。 なぜなら数学課題フォルダこそまさに、俺の野生衝動そのものだから。 そう。 数学課題フォルダは禁断にして秘められた聖域〜SANCTUARY〜。 見里「数学課題フォルダがどうかしましたか?」 太一「っっっ!!??」 無意識に喋っテータッ!!(メキ略) 太一「レディ、わたくしめになにか手伝えることはありませんか?」 うやうや 恭しく指を取る。 先輩は平然としている。 見里「でも、もう学校の時間ですよ?」 小首をかしげる仕草が犯罪的だ。 太一「学校など」 おおげさに首を振って、笑い捨てる。 太一「今あなたを手伝うこと以外、どのような優先すべきことがありましょうや」 見里「え……?」 戸惑う先輩も素敵だ。 太一「ぜひ子孫繁栄のお手伝いも小生めに一任してはいただけまいか」 見里「えっ?」 太一「あわわ」 慌てて口を押さえる。 思ったことが口から漏れる癖、なんとかせんとなあ。 太一「アンテナ、だいぶ形になりましたね」 見里「うん。頑張りました」 太一「もう完成ですか?」 見里「……まだ全然なんですよ、これが」 業者が組み立ててくれるはずだったアンテナ。 搬入だけされて、うち捨てられた。 見里「専門家じゃありませんし、だましだまし組み立ててます」 見里「本体はいいとしても、配線や調整は手つかずですし」 太一「あらら」 残念ながら、俺にもそういう知識はない。 太一「……手伝えること、なさそうですね」 見里「お気持ちだけで」 ちらと見やった先輩の手が、傷だらけだった。 あー。 苦労しちゃってまあ。 モニターひとつ持ち上げられない細腕なのに。 太一「あの、先輩」 見里「はい?」 太一「どうして一人でやろうとするんです?」 太一「みんなだっているのに。召集かけたらいいじゃないですか」 見里「……んー」 見里「わたし、部長だったりしますし」 見里「ぶっちょがやらねば誰もついてこないでしょう?」 太一「いや、今でも誰もついてきてないデス……」 見里「ぺけくんがやってきてくれました」 うわ、殺し文句。 見里「それに自分がやりたいというのもありますし」 見里「わたしは好きなことやってるだけです」 見里「皆とおんなじに」 太一「みんな……好きなことやってるわけじゃないスよ?」 見里「そうですか?」 太一「そう思います」 なんとなく。 太一「実感わいてないだけじゃないですかね、きっと」 太一「こんな状況ですから」 見里「それはわたしもそうですよ」 ふっと表情が翳《かげ》る。一瞬。 再び、笑みが花咲く。 太一「みみみ先輩は強いですね」 ※みみみ先輩=『み』やす『み』『み』さと、の略 見里「…………」 あ、久々に出た。 素の表情。 よそよそしいほどに無色な面差し。 これが一応『わたし、ムカついちゃってます』という意思表示だ。 見里「そんな先輩はいないですよ?」 太一「すいません、間違えました、みみ先輩」 にっこし。 見里「ぺけくんはじゃあ、もう落ち着いちゃったわけだ」 畜生かわええなあ。 けど一文字増えただけでなぜ嫌がるかな……。 そもそもなぜみみ先輩というのは平気なんだ。 見里「それでここに来た、と」 太一「ええ、まあ」 先輩とイチャイチャしたいというのが本音だが。 見里「いい子ですねー」 頭を撫でられる。 髪の毛を、柔らかい指先がくしゃくしゃにしていく。 あっ、そんな繊細につむじを愛撫されると……腰が疼いちゃう(駄目人間)。 見里「どうしました?」 太一「テントが設営されまして」 見里「え、どこにです?」 太一「みみ先輩、前学期に習った範囲の数学公式を教えてください」 見里「いいですよ」 見里「○×▽□○×▽□……」 萎縮と反比例して直立。 太一「や、失敬マモドアゼル」 見里「唐突に口調が紳士っぽいです」 太一「紳士を生業にしているものですから」 見里「あとマモドアゼルじゃなくてマドモアゼルですね」 太一「…………」 太一「さあ、なにを手伝いましょうや?」 見里「でも、もう始業時間過ぎてマスカラ……」 見えない何かを両手でシャカシャカ振った。 先輩、それはマラカスです。  ・突っ込む  ・はり倒す  ・贖罪させる 突っ込むことなど不可能ッッッ! 太一「始業時間、か」 ベルが鳴らなかったせいで気づかなかった。 太一「さぼりますか?」 見里「おや、悪い子がいるみたいですねー」 見里「……でもそうですね」 空を見て、ほうとため息をついた。 見里「悪い子、ですもんね」 太一「はい?」 見里「いいえ、なんでもー」 見里「といっても、日中は暑いですから……ここでの作業はしないんですよ」 見里「ですからせっかくさぼっても、やることってないんです」 太一「あ、そうか」 日射病にでもなったら大変だ。 見里「夕方からまた再起動です」 太一「手伝いましょうか?」 見里「ぺけくんの方が強いです」 太一「はい?」 見里「ちゃんと心の整理して、自分のやること決めてるんですから」 唐突に話が戻ったらしい。 太一「そりゃ先輩も同じでは?」 瓜実型の輪郭に、仄かな憂いが訪れた。 泣きそうなようにも見えて、胸を締めつけられる。 そうだ。 彼女だけが、俺をこんな気分にさせる。 ありきたりで、当たり前の、胸を張って誇れる……想い。 異性としての感情かどうかはさておき、俺はこの人が好きなんだと思う。 幸せになってほしい。 嫌われたくない。 見里「どうかしましたか?」 太一「どわあっ!?」 眼前に先輩の顔がアップで迫っていた。 見里「わっ?」 太一「べっくらこきました」 見里「ふむ、べっくら……ふむ」 なにやら感心している。 太一「暑くなってきたし、校舎に戻りません?」 見里「そうしますか」 放送部の部長さんは、一度だけアンテナに視線を移した。 太一「……」 なにを思っているのかはわからない。 この人は、そうたやすく本心を見せたりはしない。 だからこそ、さっきの唖然とした顔は貴重なのであり。 柔和な顔は仮面でしかないんだと、俺はわかってしまうのだ。 蝉がうるさい。 こんな暑いのに。 奴らはいつだって本気だ。 太一「しかし」 どうするかな、これから。 屋上が炎天下となると、涼める場所はさほどない。 手近な教室をのぞいてみると、案の定授業中だった。 一年E組。 まちこ先生が授業をしている。 佐藤真智子。 身長173センチの長身でグラマラスなダイナマイト・ボディの持ち主でしかも美形でパリッとしていてブランドものの縁なし眼鏡が似合っていて濃紺の光沢を持ったロングヘアを—— しゃれっ気たっぷりにアップにしているばかりか艶めかしくつやめく肉厚の唇が魅惑的な、俺的最強生命体の一人である。 教職二年目。 俺たちと同じ年度で教師になった。 今ではすっかり女教師が板についている。 だがまちこ先生は罪深い。 罪っ子である。 その罪の多くは、シャツを内側から突き上げるふくらみに含まれていると言ってもいいだろう。 ボディ自体はすらりと細長いのに胸の量感はたっぷりで今にも破れるんじゃないか破れた瞬間のπモーションは何万ポリゴンで左右別々に違う動きを見せてさぞかし壮観であるに違いない—— という思考にどっぷり浸かってしまうほどに蠱惑的な彼女の授業を、受けている時の俺は多角的にかなりダメになる。 臀部はと言えばこれまた凶悪で、凶器となっている。 キレた14歳の少年が手にするナイフと同じほどに危険だ。 タイトスカートの内側という男子垂涎の空間に押し込められ、 『こんな狭い場所じゃあちきの美肉はリラックスできないわよ!』 と言わんばかりに張りつめるまろやかヒップ。 尻の割れ目に横筋が橋を張るほどにぱっつんぱっつんなスカートの中央に、カッターで縦の切れ目をスーッと入れたいと思ったことは五度や十度じゃない。 危険な女性だ。 悪の校長と番長らによって、妹(同校在籍の女生徒……明るく成績優秀でスポーツ万能で男女わけへだてなく人気があったりする)の弱みをネタに脅迫され性悦の極みに堕ちていきかねない。 そんな仏国書院的な危機から、俺はいつでも彼女を守りたいのである。 一年生の時、副担任になったまちこ先生に飽くなきセクハラを繰り返し、ついには授業中に泣かせてしまったうえ三日間無断欠勤をさせてしまったことが、未だに悔やまれる。 ……そして俺は停学を食らって、先輩に「停学君」とからかわれるようになった。 ま、それで親しくなったからいいんだけど。 さておき。 以来、まちこ先生と俺との接点は消滅した。 二年を待たずして副担が変わり、受け持ち授業からもいなくなった。 さらば青い思い出。 セクハラ、ほどほどにしておけばよかったな。 でもどうせ嫌われるならもっと揉んでおけばよかった、と考えてる時点で俺はもう終わってるんだろう人として。 太一「ふー」 とにかく、このまま廊下をウロウロしてたら誰かに見つかる。 食券を買ってから部室に行こう。 完璧計画爆誕。 A定食は三時間目には売り切れるから、確実に食べたい時は一時間目の終わりと同時に食堂に赴くことになる。 それでも多少、行列はできる。 二時間目に遅刻してしまうこともあるわけだ。 こういうことが多発すると、たまに思い出したように『食券事前買い禁止令』が公布されたりする。 数をもっと多く用意してくれればいいのに。 誰もがそう思う。 だが無駄をはぶくためか、定食は数量限定が鉄の掟。 だからこんな機会を逃す手はない。 さすがに一限目の途中なら行列もないしな。 がらすきだった。 太一「おばちゃん、エース定食」 無事に食券を買えた。 らくちんらくちん。 部室に入ると、パイプ椅子に座って雑誌を読んでいた男が顔をあげた。 太一「いやいやいや、友貴《ともき》先生じゃないですか」 太一「こんなところで奇遇ですな。先生もアレですか? こっちの方もいける口で?」 小指を立てる。 友貴「まあ……」 冴えない顔でそう応じる。 友貴は防御時のアドリブが全然きかないタイプだ。 コンパでは善人だが退屈な男と分類されるに違いない。 太一「さぼりか? さぼりなのか?」 友貴「そっちこそ」 友貴「うちのクラスは自習になったんだ」 再び雑誌に目を戻し、パックのコーヒー牛乳をすすった。 なるほど。 それで抜け出して、ここでくつろいでるわけだ。 いいひと属性のくせしてワルぶりやがって。 太一「食券は?」 友貴「買ったよ」 太一「やるな」 友貴「……」 シカトかい。 なんか気が抜けた。 どだい放送部はキャラ的分業化が進んでいて、ツッコミ担当の友貴に悪ノリは期待できない。 窓から外を見る。 強い日差し。 太一「暑いな、今日も」 友貴「冷蔵庫にもう一個あるけど」 太一「80円だっけ?」 友貴「そー」 太一「もらうわ」 突き出た手に小銭を落として、備え付けの冷蔵庫を開ける。 友貴「……あの、全部の硬貨に正倉院が刻まれているんですけど?」 クレームは無視して、パックをすすった。 友貴「もう」 それ以上の追求はなく、気怠い時間が流れた。 窓際にずらりと並ぶ、様々なモニターと機材を乗せた長テーブルを見やる。 放送部の機材だ。 すぐ隣が、放送室となっている。 こっちは待機室で、たまり場だ。 電源があるのをいいことに、小型冷蔵庫を置いたりゲーム機を常備したり携帯充電器が一列に並んでいたりと校内でも屈指の無法空間となっている。 太一「あれ、機材の配線外れてない?」 友貴「新しいマシン組むから、ちょっと構成変える」 太一「ふーん」 友貴はこれでけっこうなパソコン少年で、美希とよくCPUだのメモリだのの会話に花を咲かせている。 別の学校に通う一個下の可愛い彼女がいて、出会いはBBSだそうだ。 友貴が入院している頃、一度本人と出会ったことがある。 見舞いに行ったときだ。 彼女『あっ、あの、と、とと友貴くんがお世話になってますっっっ』 と頭をさげてきた制服の着こなしからして一味違う激キュートな生命体の出現に、ショックを受けた俺の記憶は未だおぼろげだ。 彼女……優花ちゃんは、そのあとも友貴のかいがいしく世話をしていた。 きっと友貴が求めれば、脱ぎたての下着だってくれるに違いなかった。 太一「……………………」 友貴「いてっ! なにすんの!?」 太一「急に悔しくなって……」 友貴「はい、なにが? わけわかんざき」 友貴はギャグも最高につまらない。 こんなヤツにあんな可愛いガー(GIRL)がひっつくなんて、間違ってる。不潔。 少女「……っっ」 くすくす笑いが聞こえた。 太一「あれえ、いたんだ?」 放送室から来たんだろう、眼鏡をかけた小柄な少女がいた。 少女「あいかわらず先輩がたは……」 友貴「がたって」 後輩の福原みゆきだった。 太一「おっす。元気?」 太一「おやあ? おやおやぁ?」 みゆき「な、なんです?」 警戒してのけぞるみゆき。 みゆき「どーせまた地味だとか言うんですよね?」 太一「なんて地味っ娘なんだ」 みゆき「あああああ……」 少女はがくがくと震えた。 太一「うーん、君はなー、どーしてこう地味なのかなー。どーして君の髪どめのゴムはすごく安そうなの? どうして眉がこんなにぽわぽわしてるの? どうしてスカートもっと短くしないの?」 みゆき「きゃあ、スカートはちょっとっ」 太一「うーん」 みゆき「首筋を優しく撫でないでくださいよっ、きゃっ、耳に指入れないでぇっ!?」 愛撫攻撃。 太一「もとはいいのにねぇ」 みゆき「えっ……?」 太一「もったいない、もったいない」 太一「もったいないから食ーべちゃおっと」 みゆき「は?」 かぷりこ 身をかがめて、耳にかぶりついたのでした。 女の子の香りがしました。 童話調に言っても、セクハラには違いないが。 みゆき「あわああああああああっ!!??」 みゆきがエクスタシーに達した(嘘)。 友貴「……やめてあげなよ、そこのいじめっ子」 太一「お、なんだなんだ、彼女がいるくせにさらにロックオンか?」 友貴「か、関係ないだろー!」 太一「このラブラチオ・スナイパーが」 ペッ、と吐き捨てる。 太一「けど俺の恋のライフルは、いつでも地味な君を狙って———」 視線を移した瞬間、放送室の扉が閉まった。 鍵がかかる。 みゆきはもういない。 太一「ぬう」 素知らぬ顔で漫画を読んでいる友貴を睨む。 太一「その優しさがもてる秘訣ですか?」 友貴「はあ?」 太一「まあいいや。それよりみゆきはどうしているの?」 友貴「……おまえって後輩は平気で呼び捨てるよな」 太一「だって後輩だよ?」 静寂。 友貴「そういうとこ尊敬するよ」 友貴「……福原のクラスも自習なんだってさ」 太一「あー、なるなる」 謎がとけて興味も失せた。 太一「まーた誰か弾けちゃったかな?」 友貴「……たぶんな」 椅子に座り直す。 夏の日差しは、まだ室内には入ってこない。 太一「放送部はいいよなぁ。この部屋が使えるだけでいい」 友貴「そうだね」 読書中の友貴は返事も気怠い。 太一「……なに読んでるの?」 友貴「サイコマン」 太一「八束が死んで、真犯人は真崎だと判明した」 友貴「言うなよーっ!!」 太一「やるかーっ!」 友貴「もう言うなよっ、魔獣列島のオチとか絶対言うなよ!」 太一「アンデルセン神父が味方のスパイでさらわれた依子を助けてくれた!」 友貴「言うなよっ」 太一「言論統制反対!」 友貴「裏切りものーっ!」 太一「エピクロス主義者っ!」 もみあいに。 中扉が開いて、顔を出したみゆきが小さく叫んだ。 みゆき「先輩! 先生が来た!」 友貴「えっ!」 友貴「あれ……太一?」 馬鹿だな、隠れが遅い。 俺はもう廊下側から死角になる位置に身を潜め終えた。 友貴はおたおたと右往左往している。 みゆき「先輩こっちこっち!」 身を低くして、友貴は放送室に逃げた。 みゆきと一緒に。 あ、そっちのが良かった……。 くそ、こんなことくらいで泣くな俺っ。 扉が締まると同時に、廊下を身長190センチの筋肉が通りかかった。 マンモスだ。 萬田重蔵、通称マンモス。体罰の天才だ。 見つかったらただではすまない。 以前、奴がスチール缶を片手でピンポン玉ほどのサイズに握りつぶす瞬間を見たことがある。 しかもやつの体罰は、21世紀に適応していて侮れない。 痕跡を残さす苦痛を与える術に長けているのだ。 これで某婦人告訴団体ペタも恐くないって寸法さ! マンモスはそれはもうピグミーマーモセット並に、恐ろしく狡猾な苦しみマッスルなのである。 巨体がのしのしと通り過ぎていく。 途中、視線を室内に向けた。 重蔵「……」 そのまま立ち去る。 原始人に狩られてしまえ、と呪っておく。 太一「シベリアの凍土こそ、おまえにふさわしいグレイヴヤードになるだろう」 身を出す。 友貴「あぶないあぶない」 みゆき「カーテンつけた方がいいですよねぇ、廊下側の窓」 友貴「禁止されてるんだよ。学校もよくわかってるよな」 太一「いい手がある」 みゆき「……」 友貴「……」 太一「あー、諸君らが俺をどう思っているかは知っている。だがこれはつまらないギャグではなくマジでいい手なのだ」 みゆき「どんなんです?」 太一「友貴、マシン使えるようにしてくれよ。あとデジカメ」 友貴「はーん?」 適当に部室で暇を潰して、教室に戻る途中。 人気のない廊下で、処女がうずくまっていた。 太一「大丈夫ですか、お嬢さん?」 尻に手を伸ばす。 少女「おっとぉ!」 瞬発力を発揮して、少女は立ち上がった。 すり足で距離を取る。 臨戦態勢に移行するのが早い。 しかも跳ね起きると同時に、俺に一撃を加えてきた。 太一「……なかなかやるな」 少女「せんぱいこそ」 片手で受け止めた、顔面を狙って放たれた雑巾を、静かに床に落とす。 太一「なんか久しぶりに会ったという気がするな」 少女「そですね」 映画化された某有名ファンタジー小説のヒロインみたいな少女が、立っている。 安心していい。外見だけだ。 太一「しばらく会ってないからって名前とか忘れてへんで?」 少女「やー」 太一「だから安心してくれ……」 太一「ジョンソン」 少女「せめて女性の名前で」 外人なのはもういい、という顔をしていた。 太一「腕をあげたな、美希」 美希「ええ」 山辺美希は涙を誘うほど乏しい胸を張った。 美希「わたしのお尻は高いですから」 太一「ちょっと触れたけどね」 美希「サービスです」 動じない。 太一「だがそのスカートのめくれまでは……」 美希「めくれてません(きっぱり)」 やるな。 ハッタリもきかなくなったか。 太一「いいだろう。今回は花を持たせておく」 美希「えへ」 にっこりと笑った。 うわー、抱きしめてぇ。 太一「なにしてたんだ? 掃除ごっこか?」 美希「あ、はい、なんかここんとこ汚れてて」 美希「あっし、きれい好き」 架空の力こぶを作る。 太一「自発的にかい、そいつはクールだネ!」 太一「……あー、わかったわかった、皆まで言うなよマイスウィート。しょうがないな、サインだろ? この伊集院太一のサインが欲しいと。我が進路で良俗に従事することで遠回しに催促していたわけだ」 美希「……あーあー……アレですか」 美希「なんか久々ですねえー」 なんとも切なそうな顔をする。 というか泣きそうではないか。 というか泣きそうではないか。 二回も思ってしまったぞ。 焦ってはいかん、冷静に対処するのだ。 酸いも甘いも噛みわけたエリートヤングアダルト候補生として! 太一「どどどどどどうしたことだ、山辺君! そんなに嫌であれば無理に余白を潰そうなんて思わないぞ! 正直に申告するのダっ!?」 声震えまくり。 太一「おお、泣いてる、あわわ」 目尻をぬぐう。 俺もつられて泣きそう。 美希「あ、いえ、なんでもありません、サー」 美希「涙腺からちょっと、青春汁が、漏れて……」 太一「なんだ……」 青春汁か。 太一「驚かすない」 冷や汗をぬぐった。 太一「じゃあ今回は王子(俺)のサインはおあずけだな」 美希「いえ!」 喉のかすれるような悲鳴。 美希「いります! してください!」 太一「そ、そんなにしてほしいのかね?」 こっちがたじろぐ。 美希「してください、してください」 甲高い声で『してください』と連呼される。 下腹部が熱くなってきた。 どうしてだろう? どうしてなんだろう? かいめんたいはいつもぼくの意志をむしして、あばれるんだ——— 童話調に思考しても生々しさは消えなかった。 太一「わ、わかった、ではアレを」 美希「はい」 美希は垂直な胸元をまさぐって、メイトブックを出した。 当校では身分証明書をかねるこの手帳を、そう呼ぶ。 そう。 どうも本校のお歴々は、『都会』の駅裏にある人気NO1高級浴場『メイトブック』の存在を知らないようなのだ。 会員になると手帳を渡され、一回ご利用するごとに姫のスタンプがもらえる。 スタンプを集めることによって、Wやトリプルなどのサービスが格安で楽しめるという寸法だ。 ……トリプルだなんて。 それはいかなる世界なのか。 桃源郷なのか。 大陽は黄色いのか。 勃ってきました……。 いかん。 ここで安易に前傾シフトをとれば、美希にばれる。 美希は処女だが、男の生理には精通している。 俺が教えたから。 前傾しなくともばれるだろうが、堂々としていれば、格好だけはつく。 美希「……」 あ、今ちらっと見た。 美希、やや赤面。 なにも言わない。 視線を窓の外に向けて、わずかにもじもじする。 うわ、かえって恥ずかしい。なにか言えや。 いっそ言葉で俺を玩弄《がんろう》してくれ。 羞恥のあまり、荒ぶる破壊神は鎮まっていく。 実戦経験がないためか、直で面すると弱いんだな。 直ハラ禁止だ。 ※直ハラ=太一語。直接行う性的いやがらせ。主に性器を露出し異性に接触させるなどの小児的猥褻行為。ちょんまげ、爆破スイッチ、一本釣り、等。状況によっては痴漢行為と見なされることもある。 というか全部、完璧に、申し分のない、痴漢行為である。 太一「美希は手帳だいぶ使いこんでるなあ。ぼろぼろだ」 美希「ぼろぼろ」 無意味に繰り返すことで肯定する美希。 ページを繰ると、メモ欄にはすでに俺のサインがでかでかと書かれていた。 何ページにも渡っている。 俺のサインをコレクトしているかのようだ。 正確には、俺がコレクトさせているわけですが。 白紙を見つけ、そこに新たなサインを書き込む。 太一「……」 太一「あのさ、今回は俺がサインしたくて美希の胸を借りたってことで……全然いじわるしようとか思ってないからね?」 美希「嫌がってないですってば」 太一「そ、そう?」 サインを書き終える。 美希はおだやかな顔をしていた。 確かに嫌がっている風ではない。 他のページをざっと調べる。 美希「あー、別にデートの約束とか書いてないんで」 太一「あっそ」 手帳を返す。 スリッパの底みたいな胸元に抱きかかえて、 美希「ご安心ください。美希は処女でございます〜」 太一「べ、別にそんなことで安心したりしないもん」 うろたえると俺、小児化。 美希「はいはい、わかっております」  ・掃除を手伝う  ・胸を揉む 微笑む少女の胸元に、自然な挙措で手が伸びた。 隙を突かれたのか、美希は笑顔のまま身動き一つしなかった。 ふにぃ 気がつくと、俺はおっぱいを揉んでいた。 ほとんどないと思っていたその「板」には……薄いとはいえ確かな感触が。 美希「……しまった」 笑顔のまま、口元を引きつらせる。 太一「ごめん、無意識に手が」 美希「いえ、うっかりしていたわたしが悪いのです」 太一「あの、こんなこと俺が言うのもなんだけど……ちょっと膨らんでるね。良かったね!」 美希「恐縮です。いつ手を離していただけますでしょうか」 太一「将来に希望が出てきたね」 美希「うーん、喜べばいいのか怒ればいいのか。で、いつまで触っておられるつもりでしょうか?」 太一「俺は感慨深いよ。あの小さかった、いやさ、平べったかった美希が三次元的立体感を手に入れるなんて」 美希「…………」 太一「美希?」 もみもみする手を止めて、顔を見る。 美希は泣いていた。 太一「あ、あれ?」 泣かした? 泣かした? 美希「……っ」 静かな涙。 嗚咽もなく、頬の曲線を滑りおちる。 芸術家が美しさに胸打たれて流す涙があるとすれば、これだろう。 セクハラされて流すものではない、はず。 俺は戸惑う。 そして止まる。 理解ができないから。 太一「……あの……」 やがて美希はぐっと涙をぬぐった。 まぶたの上を腕が往復して、出てきたのはいつもの笑顔。 美希「にへへ」 美希「さー、掃除掃除!」 美希「その前にぃ……せやっ!」 太一「ぐおおっ!」 腕の秘孔(二の腕の中ほどあたり)を一本拳で突かれた。 太一「いたた、筋がすごくいたいよー! 握り拳をぎゅっと作るとピキーンって痛むよー!」 もがき苦しむ俺。 美希「すいー、すいー♪」 掃除する美希。 で。 太一「……美希だよね?」 美希「え?」 太一「いや、ごめん」 美希「それは胸があったから美希ではないという意味のご発言でございましょうか?」 ぺっ、と架空のツバを吐く。 太一「正直、幻滅だよ」 美希「がーん」 太一「何人の固定ファンを手放したか」 美希「固定ファン?」 太一「たとえロリっ娘でなくとも胸がないことで、幼稚園児をその聖域とする社会不適合者の支持を受けることも不可能ではないのに……」 美希「世も末だなあ」 太一「美希のばかっ、セクハラしちゃってごめんよ!」 罵声と謝罪を同時にこなして、俺は走り去る。 旅立つ。 太一「そうだ、美希」 立ち止まる。 大切なことを伝え忘れていた。 美希「はい」 太一「そろそろ部活、活動再開するってさ」 暇を潰して。 夕方になった。 先輩はいるかな? 記憶とともに、温度もゆるくなったようだ。 屋上から見渡せた藍色の帳は、すでに緋色に染め直されている。 吹きつけていた突風もない。 去勢された猫のようにおとなしい、黄昏の頃。 誰もいない。 見里先輩の姿を捜す。 太一「あ」 アンテナが佇むのその隣で。 太一「いたよ」 寝ている。 見里「……」 規則的な軽い寝息。 雑音に過ぎないそれは、不思議な音楽性を伴って思考を弛緩させる。 吸って、吐いて、吸って、吐いて。 優しく無害な気息。 飾り気のない、彼女の自然体の姿。 そこに嘘はない。 汚れもない。 眠りのときは、誰もが無垢な時代に戻る。 じっと。 奪われた視線を、世界を包む薄暮の鮮やかさでさえ取り戻せない。 ずっと。 先輩を見ていた。 羨望と憧憬をもって。 太一「……」 どれくらい、そうしていたのか。 すこやかな寝息はおさまり、まぶたが震えた。 長い睫毛が小刻みに痙攣する。 瞳が薄く開いた。 太一「……やっぱり、先輩はいいな」 見里「あ……あれぁ……?」 言語感覚が鈍った先輩は、童女の如くあどけない声を立てた。 太一「おはようございます」 見里「……黒須……君?」 太一「ぺけです」 見里「ぺけくん……」 先輩専用のニックネームを、彼女が復唱する。 見里「……ん、やです……」 見里「寝顔見たら、いゃ……」 二の腕でいちどきに双眸《そうぼう》を覆い、かすかに身もだえる。 無防備な自分の姿は、誰だって隠したい。 隠したいということは、普段の自分に嘘があるということで。 先輩もまた同じか。 ……寒い思考を切り捨てる。 やがて先輩は身を起こす。 見里「いつからいたんですかぁ?」 太一「今ですよ」 見里「……んー」 疑惑のまなざし。 太一「本当です」 両手をあげて、降参してみる。 太一「先輩に嘘なんてつきませんよ」 見里「……」 太一「でも、日中は寝こけないようにしないと危ないですよ」 太一「脱水症状や日射病になったら危険ですもん」 見里「ん、そうですね」 あくび 欠伸を噛み殺す。 眼鏡がずれていた。 つい手が伸びた。 見里「え……?」 眼鏡を両手で挟み、顔を寄せて、そっと元に戻す。 太一「これで、いつもの先輩」 見里「……もう、危ないなぁ」 太一「へ?」 見里「ぺけくんのそういうところ、危険です」 少し怒っている気がする。 太一「どこが? なぜに?」 見里「鏡を見て考えなさい」 太一「はーーーんっ!!」 うわ、泣きそうなこと言った、この人! 太一「俺が不細工ってことですかぁーっ! うわあああ、気にしてるのにー!!」 見里「え、違いますって……」 太一「醜い……僕は醜いんだ……ママン……」 見里「あああ、違います、違いますってば、ね?」 太一「ママンが醜く生んだから……」 見里「だーかーらー」 太一「いいんです、どーせブッサーなんです。大自然の一部なんです。キモダンなんです」 見里「いえ、そんなことは……確かに最初に会ったときはおどろかされましたけど」 太一「……」 最初に会ったときはおどろかされましたけど。 太一「…………」 最初に会ったときはおどろかされましたけど。 太一「……………………」 最初に会ったときはおどろかされましたけど。 太一「は、はわわ、はわわわわ……」 見里「ぺけくん?」 太一「ぎゅわーーーーーーーーーーーーーっ!?」 太一「ウィーオン! ウィーオン!」(警報) 太一「グィー、グィー、ピーウィアン!」(駆動音) 見里「わっ、ぺけくんがおかしな具合に!」 太一「我ガ名ハクリエイター、人類ノ支配存在デアル!」 見里「わ、わ、ぺけくんが二十年前のゲームのボスみたいな陳腐な創造主に!?」 太一「ナニユエ我ニ逆ラウノカ。我ノ支配ノナカニイレバ、永遠ノ平和ヲ手ニ入レルコトガデキヨウ」 見里「質問が」 太一「ナンダイ?」 見里「どうして不自然な擬古文で話すんですか?」 太一「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!」 見里「ごめんなさい、やっぱいいです」 太一「スターバスター発射用意!」 見里「えいっ」 太一「ぐふっ」 太一「……はっ、ここは?」 見里「よかった。元に戻って」 太一「おかしいなぁ」 見里「どうしました?」 太一「すごいショックなこと言われて、仕返しに人類滅亡爆弾スターバスターを発射する夢を見てたんですけど……動機になったショックなことってのが思い出せなくて」 見里「そんな爆弾だったのか……」 太一「うーん、なんだったけな」 見里「ぺけくんは容姿のこと気にしすぎです。人間は心ですよ」 太一「容姿……?」 あ、そうだ。 見里『最初に会ったときは(そのあまりの醜さに)おどろかされましたけど』 太一「おおおおおおおおお」 見里「また……」 太一「ジェロニモーッ!!」 見里「……誰?」 太一「う、ひっく、えぐっ」 見里「どうしろと……」 先輩はおたおたした。 太一「せんぱーいっ」 抱きついてみた(あえて)。 見里「……うっ」 一瞬、身構える先輩。 中空を両腕がさまよう。 太一「好きで、好きで醜く生まれてきたわけじゃ……だから、せめて清潔にはしてるし……人を不快にさせないように……ひっく……」 見里「あぁああ」 先輩の体から、ゆっくりと強ばりが抜けていく。 見里「ぺけくん」 そっと抱きしめてくれた。 太一「……」 ふくよかな胸に顔を埋めた。 埋めまくった。 制服ごしに甘い体臭がした。 くらくらする。 少し、汗の匂いも。 それがまた、妙にかぐわしい。 そしてやーらかい。 果てしなく、やわっこい。 見里「……んっ……」 もぞもぞと動く俺の顔に、先輩はこそばゆげに喉を鳴らした。 見里「あのー……」 泣き真似を続ける。 見里「ですからっ」 見里「ぺけくんの容姿はともかく目は、すごく深くてキレイなので」 ためらい。 けれど、一瞬で霧散して。 見里「……不意に近づかれると、ドキッとしてしまうんですよ」 太一「本当ですか?」 見里「だから鏡を見ろって言ったんですよ?」 太一「……」 見里「もう泣きやんでくれますか?」 太一「……はい」 断腸の思いで顔を離す。 次にこんな機会が来るのは、いつになることか。 見里「泣き虫だったんですね、ぺけくんは」 太一「……」 見里「世話が焼けますねー」 焼いて焼いてー、と心の中では思う。 焦がしちゃって〜。 見里「うちの弟にでもなっちゃいますか?」 太一「はい」 即決。 太一「では今後ともよろしくお願い致します」 見里「えっ?」 太一「すぐに荷物まとめて、お宅にうかがいます」 見里「はいっ?」 太一「とりあえず身一つですぐうかがいますか? 姉弟はやはり同じ布団で寝るのですか?」 見里「あ、あのですね、ぺけくん……」 太一「実は、ずっと寂しかったんです……ありがとう、ぼくの姉さん……いや、姫ねえさまと呼ばせていただきます」 見里「どっ、どうしよう」 あさっての方角を向いて、先輩は呟いた。 太一「冗談ですよ」 見里「……」 みるみるうちに、表情が非友好的なそれに変わる。 見里「ぺーけーくーんー」 太一「場を和まそうと思って」 太一「だめでしたか?」 泣きそうな顔をしてみせる。 見里「う」 見里「……」 嘆息。 見里「もう……ずるい」 太一「ずるい?」 見里「こっちの話ですっ」 ちょっとぷりぷりしているけど。 許してもらえたらしい。 先輩は、優しいのである。 とかやってるうちに、そろそろ夜がやってくる。 明るい時間は終わって、闇が訪れる。  ・手伝う  ・帰る 太一「それより、部活しませんか?」 見里「……まあ」 先輩がじっと見つめてくる。 見里「手伝いにきてくれたんですか?」 太一「はあ」 見里「そうですか」 ぎょうぜん 凝然と、固定された目線が外れない。 やがて先輩の顔がふっとほころぶ。 見里「ありがとうございます、ぺけくん」 太一「いえ、帝国軍人として当然であります」 敬礼。 彼女はくすくすと笑う。 見里「でも残念ですが、今日はもう夜になってしまうのでした」 見里「楽しい部活の時間は、おしまい」 太一「えー」 見里「すいませんね、一人でやるって決めていたので、時間は流動的だったりするんです」 太一「でも一人じゃ終わらないですよ? 配線だってあるでしょうし」 太一「そもそも電源だって」 見里「平気ですよ」 見里「女は度胸です」 太一「じゃ男は愛ですね」 太一「先輩、ぼかぁ、ぼかぁ———」 にじり寄ろうとすると、 見里「部活しゅーりょーっ!」 太一「ぐぶぅっ」 顔面を片手で突き押され、よりさらに不細工になる俺。 『ぐぶぅ』とか言っちゃってもうマリアナ海溝の底まで落ちたって感じ。 見里「さ、帰りましょう。と言いましても、あなたとわたしは帰る方向も正反対ですけれど、ほほほほ」 太一「……なーんか、釈然としません」 見里「だって、今日はとても楽しかったでしょう?」 太一「んー、どうでしょうねー」 見里「わたしの胸に顔をうずめてる時、お尻触ってましたよね?」 太一「……」 見里「ぐにぐにーって、すごい触り方で」 見里「しかも両手で」 太一「…………」 見里「くすぐったかったです」 太一「〜♪」 あさっての方角に向けて、口笛を吹く。 見里「オ・ト・コ・ノ・コ、なんですものねー」 こめかみのあたりを、ぐりぐりとつつかれる。 けっこう痛い。 ごまかせるはずもなかったのだ。 太一「うう……すいません……」 見里「さて、どうしたものやら」 見里「わたしも、そのくらいの価値はある女だったってことですかね」 見里「それともぺけくんが無節操なだけですかねー?」 太一「いやいやいや、虚無僧ではありますが無節操などには!」 太一「奴らと同列にされては困ります!!」 必死に誤魔化す俺の、緊急ギャグは果てしなく寒い。 見里「ふふふ」 夕刻の、さらに濃度を増したオレンジを背景に、先輩は体をすこし傾けて、言った。 見里「許してあげますから、帰って反省タイムです」 見里「さようなら、ですよ。ぺけくん」 校舎を出て、屋上を見上げた。 アンテナが立っていた。 その隣。 先輩はまだ、そこにいる。 作業していた。 もうじき夜になるのに。 一人で。 この時になってはじめて。 やんわりと、手伝いを拒絶されたのだと気づいた。 夕方になっても、地べたは暑かった。 靴の底から熱が伝わる。 けど耐えられないものではない。 関東の都心部に比べたら、雲泥の差だろう。 風の通りが良いし、湿気もとどまらない。 こんな坂道をいくつもこえていくのでなければ、だ。 さらに蝉のうるささは、暑さを増幅させる。 夏だけ活動していた某バンドばりに、奴らもこの季節に賭けているのだ。 少年「ぎゃっ」 太一「え?」 間近で、誰かが倒れた。 乾いた音がして、足下にステンレスの杖が転がってきた。 太一「あらぁ?」 人が倒れている。 近寄ってみた。 太一「……あの、平気?」 少年「あ、すいません、平気です」 こういう時、日本人はすぐ平気平気と言う。 実際はどうだかわからない。 急に腹が立つ。 太一「本当に平気なのかよ! そんな一瞬で平気かどうかわかるものかよ!」 少年「お、おお……ああ」 その日本人は圧倒されてカクカクとうなずいた。 太一「複雑骨折してるかもしれないだろー!」 少年「見るからに折れてないが……」 太一「人類をみくびった報いを受けさせてやる!」 少年「なんの話だよ!」 少年「ま、とにかく怪我はないから」 そいつは苦笑しつつ身を起こす。 杖を渡した。 少年「あ、悪い」 太一「俺のせいだし、いいけど」 太一「怪我は?」 少年「ないみたいだ」 杖をついて、少しバランスを取る。 片足が不自由なのか……。 太一「骨折?」 少年「だったらいいんだけどなぁ」 屈託なく笑う顔が、穏やかだった。 苦労した人間の顔。 少年「あれ、おまえ……その髪って」 太一「ああ、これ?」 自分の頭髪をつまみあげる。 太一「カツラじゃないよ」 少年「いや、疑ってないし」 少年「けど染めたのか? 根本まで白いな」 太一「違う。天然もの」 少年「へー」 少年「まっしろじゃん」 そうなのだ。 俺の髪の毛は、もうずっと前から純白。 綿毛みたいな白だと、ある人に言われたことがある。 老衰した白ではない。 艶を保った雪白の髪。 薄気味悪いほどに自然な白髪。 ……俺が人目を引く、一番の理由。 二番目の理由は、顔とのギャップなんだろう。ちぇっ。 少年「あ、悪い。気にしてるのかな」 でも、こいつはいい奴だな。 気配りを知っている。 だからこちらも気配る。 太一「いいや、ちっとも」 太一「昔はちょっと。けどガッコ、そこだから」 少年「ああ……群青学院?」 太一「そ」 少年「俺もそこに通うんだよ」 そいつは破顔した。 太一「お、歳は?」 日本人は自分の生年月日を述べた。 同い年だ。 そして、お仲間、か。 太一「よろしく頼む」 少年「こっちこそ。いろいろ教えてくれよ」 少年「俺、足が片方あんま動かなくてさ」 太一「……そうなんだ」 少年「精神的なものなんだよ。怪我はずっと前に治ってる」 太一「大変だなー。いつから?」 少年「ずっと前。ま、天然ものだな、こっちも」 少年「ほら、太さが違うだろ?」 ジーンズを持ち上げて、足首を見せた。 太一「うわ、すご」 少年「ぜんぜん使わないからさー、筋肉がなくなってんだ」 太一「やばいよー、鍛えろよー」 少年「ほとんど動かないんだって。一応、手動でちょっとやってるけど」 少年「面倒でさ」 太一「おいおい!」 少年「あははは、ジョークジョーク」 太一「おまえ、さては自虐ネタの使い手だな」 油断できない男の登場である。 少年「なんだよそれ」 少年「あの学校、いいとこだといいなあ」 太一「いいとこだぞ」 太一「俺たちみたいな者には」 少年「そりゃいいや」 太一「かわいい娘、多いぞ」 少年「マジっすか?」 まともな会話できないのも多いが。 太一「特にまちこ先生がいい。最高」 少年「名前だけでいいな! はやく見てー」 太一「今度、俺の秘蔵まちこ先生アルバム見せてやろう」 太一「A級なんだ」 少年「A級? 最高ランクか?」 太一「いや、上にSがある」 少年「うわ、俺と一緒の分け方だ……」 太一「お、おまえもかー!」 なんなんだこのナチュラル気の合う男は。 少年「OK、なんとかやっていけそうな気がしてきた」 太一「群青はうまいしエロいしおおらかだぞ」 少年「やべぇーっ、エロいかぁーっ、そりゃますますお盛んな人生が開けてきたーっ!!」 太一「行けーっ!!」 少年「おーっ、行くぜ!」 少年「ていうかはじめて会った気しねー」 太一「俺も、おまえとはいつか決着をつけないといけない気がする」 少年「受けてたってやるよ」 自信まんまんに言う。 少年「……その前に、まちこ先生のデータくれな」 太一「OKだ戦友」 太一「人種は違うが頑張ろう、ジャパニーズ」 少年「……いや、おまえも日本人だろ、どう見ても」 これが、俺と新川豊との出会いだった——— 太一「ふう」 テーブルの上に、メモが置かれていた。 『夕食あるかも』 太一「わーい、行く行くー」 自分で用意しないですんだ。 三分で着替えると、いそいそと彼女の家に向かうのだった。 夕食は、おいしゅうございました。 ろうそく 蝋燭に火をつける。 独特の輝きが、室内を照らす。 蝋燭が好きだった。 生の火に、強く惹かれた。 こうしてぼんやりと揺らめく炎を見ていると、心が囚われて、いつまでもいつまでもまどろんでいることができた。 以前、それで前髪を焦がしたこともある。 ぶっちゃけ三分前のことだ。 太一「……焦げた……ちくせう」 泣きそう。 とにかく日記だ。 分厚い日記帳を開く。 人生の記録は、大切だよな。 今日は学校に行ったのに、授業をさぼった。 冬子がやけにつんけんしていた。 きっと生理だ。 けど生理だからって八つ当たりは良くない。 仕返しにこの日記上でひどいことをしてやる。 冬子「いや、やめてっ」 俺「へへ、嫌がっていても体は正直(略)」 冬子「あっ、そんなの、いや、やめてやめてっ」 俺「駄目だ、もう男がここまで来たら引っ込みがつかないよ! 俺の自慢のライフルでおまえというターゲットにロックオンするしかないんだよ!」 冬子「いやぁーっ、体は、体はいやぁーっ!!」 俺「すぐに自分から欲しがるようになるぜぇ」 冬子「いや、お慈悲!!」 俺「聞く耳持つか、どりゃーっ!!」 冬子「……けだものーっ!!」 ここで赤い薔薇をさした花瓶のアップ。 やがて花は根本で折れ、静かに落ちる。 画面が滲んでいき、ホワイトアウト。 【完】 廊下を歩いていると、美希が掃除をしていた。 俺の指先は電光石火で美希の尻を狙ったが、かすめただけで実体をとらえることはできなかった。 美希はとろくて今まで触り放題だったのに。 これはゆゆしき問題ですぞ、校長! だが弟子が腕をあげたことは、素直に嬉しい。 師である俺が抜かれる日は近い。 久しぶりに部活に行って、みみ先輩にぱふぱふをした。 この日、俺は一つの到達点に辿り着いた。 感動、大。 他にもいろいろとあったが、全体的に良い日だった。 CROSS†CHANNEL 桜庭に押し倒される夢を見た。 桜庭『男でもいい』 と叫びつつ、襲いかかる金髪の貴公子。 しかしそれはおかしいじゃないか。 当時、やつは金髪ではなかったのだから。 でもどうでもいいことだ。 最強の矛と無敵の楯を装備している桜庭は、もとより理屈の通じない相手だ。 桜庭『避妊するから』 と言い訳がましく迫りくる。 避妊すると言いつつ肉体関係を強要してくる、桜庭自体を否認したかった。 どうしてこんなことに? 日記にひどいことを書いたせいか? 天罰か? 応報か? ハンムラビ法典か? そりゃ微妙に違うか? 俺はと言うと、どこかで夢だと知りつつも、パニック状態になっていた。 太一『からだはいやーっ』 太一『お慈悲!』 太一『けだもの〜っ!』 などと叫びながら、桜庭の体を突き飛ばそうとする。 純潔をかけたレスリング。 ……純潔でもないが。 敵は本気で、鼻息も荒い。 殺すかと本気で思う。 ぼかぼかと殴る。 一発がうまくクリーンヒット。 桜庭は横転する。 ぎょうが 仰臥して意識を失った桜庭の股間が、不意に暴発した。 射精したのかと思ったら、桜庭の荷電粒子砲(自称)の先端からは、手品さながらに花束が突きだしていた。 ああ。 なんて悪趣味な展開なんだ。 目を覆う。 そこで目が覚めた。 太一「……シュールすぎる」 だいたいあいつに、人を押し倒す度胸なんてあるはずないのだ。 気弱なお坊ちゃんなのだ。 どうせなら見里先輩に逆レイプされる夢ならよかったのに。 見里『……こんなに大きくなってしまう悪いお肉には、この鞭でたっぷりとおしおきしなければいけませんね!』 素敵すぎる……。 うっとりしながら着替えた。 朝食が用意してある。 メモもあった。 『しっかり食べて行ってらっしゃい』 美人でキャリアな睦美おばさんは、料理もうまい。 忙しくて家にはほとんどいないけど。 頭が下がる。 お言葉に甘えて、分厚いサンドイッチを野菜ジュースで流し込んだ。 時間がない。 残りはラップに包んでポケットに入れた。 途中で食べていこう。 さんさんと自己主張する日差し。 朝からこれだ。 気が滅入る。 しばらく歩いていると、 桜庭「あぎゃらおーーーーーーーーっ!!」 桜庭の悲鳴だ。 わりと近い。 犬の吠え声と、悲鳴がさらに重なる。 遠ざかっていく。 太一「なるほど……」 得心した。 と、そこに——— 少女「はれ? 太一さん?」 太一「おはよう」 少女「あ、おはようですっ」 ぺこりと頭を下げる。 近所に住む美少女の遊紗ちゃん。 上見坂いい街。 説明不要なほど可愛い遊紗ちゃんの、両手にカレーパンが揺れていた。 二人で並んで歩き出す。 別に今日にはじまったことでもない。 なにせ同じ学校に向かうのだから。 後ろから、『い゛っでら゛っしゃーい!!』というハスキーな声が聞こえた。 遊紗ちゃんの母君だ。 ちょっと重くていらっしゃる。 が、毎日楽しそうに生きておられるから、よしとしよう。 平凡な家庭に生まれた美少女。 ただ一つ難点があるとすれば、世間を知らなすぎること。 そんな遊紗ちゃんの、異性の先輩として一番身近な俺に課せられた責任は小さくない。 遊紗「いってきまーす!」 手を振り返す、その顔に反抗期の陰もなく。 どころか、第一次性徴さえまだなのではないかと思われる節もある。 この真っ白なキャンバスを俺色に染めあげたいと思ってしまうのは男として至極当然のことだが中等コースの一年で身長は前から三番目で—— 憶えたての敬語がたどたどしくも初々しい遊紗ちゃんの純正は宝石にも増して煌びやかで我が妄想も汚すか否かの瀬戸際で—— いつも切なげかつ悩ましげに揺れているのであるがその反復思考自体すでにペド狂人のものであるという自覚はある。あるんだってば。 ま、とにかく揺れているのだ。 そう、遊紗ちゃんが手に持つカレーパンの袋のように。 太一「カレーパンだね」 遊紗「です」 歩くたびに前後にゆらゆら揺れる。 両手を幽霊みたいに掲げて、誇示するかのように進む。 太一「それは……朝食?」 遊紗「あの、さっきそこに桜庭さんがいて」 太一「うん、いたね」 遊紗「会いましたか?」 太一「いや、形跡があった」 遊紗「けいせき?」 太一「ま、俺が来たときにはいなかったけど」 遊紗「困っちゃいました」 遊紗「カレーパンあげようと思ったのですけど」 餌付けしようとしてたらしい。 太一「あいつ、コンバットに嫌われてるからさ」 遊紗「吉田さんちの猛犬コンバットですね」 太一「やつは凄いぞ。自力で鎖の繋がった楔を引き抜くことができる」 太一「外出したい時に出ていき、戻りたい時に戻るのだ」 遊紗「コンバットは一般のひとは攻撃しませんよ」 太一「本物の極道ってのはそういうものさ」 遊紗「ごくどう……だったのか……」 太一「今は恰幅が良くなってしまったが、奴には軍人の血が流れてるからな」 太一「人間で言えば、戦争帰りの古き良き親分といったところか」 太一「しかし桜庭にだけは攻撃をする」 遊紗「不思議です」 太一「不思議だねぇ」 ゆったりとしたペースで歩く。 遊紗「これどうしたら……」 遊紗「おなか、すいてますか?」 太一「一個ずつ食べようか?」 遊紗「はい」 二人でカレーパンを食べた。 太一「ガッコー慣れた?」 遊紗「まだちょっと」 太一「いじめは?」 遊紗「全然ないんです! よかったですー!」 太一「だろうねぇ」 天下群青学院。群青上等である。 太一「もし何かあったら、あたしには高等コースに知り合いがいっぱいいるんですますー、とか言って牽制してやりたまえ」 遊紗「はい」 超嬉しそう。 遊紗「もう、ですます、とか言いませんけど……」 照れる。 太一「はっはっは」 昔ちょっとからかったのを根に持ってるな。 太一「担任は榊原先生だっけ?」 遊紗「はい」 太一「いい先生だよ。君はついてる」 趣味は美少女フィギュアとちょっと終わりかけだが。 遊紗「あはあは、どーも」 遊紗「……クラスのみんなも一生懸命生きてて、わたし楽しいです」 太一「そっか」 遊紗「おかーさんもいてくれるし」 太一「だな」 太一「いざとなったらあの人が出張るか。いや遊紗ちゃん、きみの生活安泰だ」 遊紗「それと……あの……」 太一「ん?」 遊紗「先生が、交換日記しろって」 太一「そんな授業あったなあ、昔」 交流HRだっけ。 太一「俺、クラスであぶれちゃってさ、高等コースの人とやったよ」 遊紗「あ、わたしもあぶれました」 太一「え?」 遊紗「うち、奇数なんで」 太一「ああ……じゃ先生と?」 遊紗「いえ、あの、それでです」 鞄の中から、ごそごそとノートを取り出す。 遊紗「太一さんに、お願いできませんか?」 カラフルグリーンのノート。 ほのかにミントの香り。 太一「よし、やろう!」 両拳を突きあげて叫ぶ。 遊紗「……」 太一「どうしたのだ、娘」 遊紗「は、え、あの……いいんですか? もっとよく考えなくて?」 太一「無論だ」 遊紗「あっさり……」 太一「そのノートが日記? もう第一回目は書いてあるの?」 遊紗「は、はい、いろいろと」 太一「いろいろと?」 性徴未満の美少女のいろいろ。 この駄目な単語の並び方が、俺をたやすく狂わせる。 だが遊紗ちゃんの前では、少しでも格好をつけて好かれなくては。 名付けて理性背水の陣である。 太一「それは楽しみだね」 前髪を『ふぁさぁっ』と払う。 少女のまなざしがじっと我が白髪に注がれる。 気がつくと、よく顔やら髪やらを見られている。 そういえば以前、コ○ルトな小説に出てくる王子様が確か白髪の美形だったとか。 熱く語っていた。 してみると俺は、王子様とイメージしているのだろうか。 だったらいいなぁ……。 いや……顔がさ……ダメじゃん……。 所詮は願望に過ぎない。 遊紗「ちょっと恥ずかしいです……」 太一「真面目に書いたことを笑ったりしないよ」 遊紗「……」 お、今のはポイント高かったんじゃないか? 美希では耳年増にさせすぎてちょっと失敗したからな。 俺の底も割れてしまったし。 今じゃただの遊び相手と化してしまった。 シット! 思い返せば返すほど惜しいぜ! 今度こそうまくやって、あわよくば据え膳の美処女だ(意味不明)。 理性理性、紳士紳士。 太一「それ、受け取ってもいいかい、フロイライン?」 遊紗「風呂いらいん?」 太一「サマーウップス」 つい難しい単語を使ってしまった自分に対し、常夏仕様で戒めの言葉を吐いた。 太一「可愛いお嬢さんってことさ」 少女の涙を優しくぬぐう。 遊紗「どうしたんです? わたしの目になにかついてましたか?」 泣いてなかった。 太一「愛しいお嬢さんってことさ」 遊紗「え……」 平然と仕切り直す俺。 遊紗ちゃんの顔から、洗い落としたように表情が消えた。 そして薔薇が咲き誇るほどに赤々とした羞恥の色に———染まらず、 遊紗「ぐじゅんっ!!」 遊紗「ぐじゅんっ!!」 くしゃみをした。 濁ったくしゃみだった。 遊紗「あ、ごめんらはい……ぁ」 最後の『ぁ』は敏感な部分を擦られてついつい漏らした桃色清純吐息では断じてない。 彼女の目が、あるものを注視したためにこぼれた、小さな驚きだった。 俺と遊紗ちゃんの間に、橋がかかっている。 片方は俺の制服の、ちょうど腹部あたり。 もう片方は、遊紗ちゃんの鼻。 つまり。 遊紗「は、はれ?」 鼻汁橋できた。 粘度の高い液体が、 のびろーん と吊り橋をかけていたのだ。 俺の推理はこうだ。 くしゃみをした拍子に、打ち出された鼻汁弾は新幹線よりも速い初速で(本当)こちらの制服に打ち込まれた。 粘着力の強い液体は、弾丸に引っ張られて少女の鼻腔から引きずり出され、普通なら切れてしまう接続部を運良く保持し、橋の完成と相成った。 遊紗「…………」 その事態が、ようやく遊紗ちゃんにも理解できたようだ。 顔色が青ざめていく。 身動き一つ取らない。 いや、取れないのだ。 うら若すぎる彼女にとって、己のはなぢるを異性の……しかも快男児と誉れ高い貴公子(俺幻想)の……衣服に顔射してしまったのだ。 ※一部、不適切な表現があります。 下手をすれば、 『はなぢる姫』 『はなぢる子ちゃん』 などの極めて小児的かつ残酷さに満ちた称号を授与されかねない。 子供はいつだって笑う対象を求めている。 相手が弱ければ弱いほど。 どこまでも、どこまでも。 遊紗「あぅ……あっ、これは……あの……っ」 極度の緊張によるものか。 見開いたままの瞳に、一気に涙が溢れた。 いかん! この子に新たなトラウマを植えつけてはならない。 アトランティスの血を引く美形白髪王子の出番だった。 少女が錯乱するよりはやく、冷静にハンカチを取り出す。 それでまず、遊紗の鼻先を包んだ。 遊紗「……うゅ?」 変な声をあげる。 根本を断ち切ってから、幾度か折り返して鼻下をぬぐう。 それから鼻汁橋を回収しつつ、自分の制服を軽く拭いた。 ハンカチをポケットに戻す。戻そうとする。 遊紗「あ、だめ、だめですよっ!?」 太一「んー?」 遊紗「そんなききき汚いっ、あ、それはだめ、捨てないと、あ、あのっ」 遊紗「べんしょーしますっ!」 太一「いいんだよ」 朗らかに笑って。 太一「さ、行こうか」 遊紗「だから、その、ごめんなさっ、でもハンカチっ」 今度こそ、親指の腹で涙をぬぐいつつ。 太一「可愛い後輩を、困らせたままにしておくようなハンカチじゃないんだよ」 遊紗「……っっっ!!」 少女は大きなショックを受けた。 太一「弁償はいいけど、風邪には気をつけた方がいいな、遊紗君」 ぽん、と頭を軽く叩いて、歩き出す。 遊紗ちゃんは、茫然としていた。 太一「ヘイ、学校だ、お嬢さん」 遊紗「……は」 遊紗「はいっ」 小走りで駆けてきて、 遊紗「……」 太一「ん?」 手を握ってきた。 耳までまっ赤にして、俯いたまま。 可愛いもんだ。あれだけのことで。 ハンカチ一枚で射止められた少女の好意を、べつだん安いとは思わなかった。 だが同時に彼女におもいっきり子供生ませたいと思ってしまった俺は脳が腐っていること間違いなかった。死ね、死んでしまえ。 教室に入る。 冬子がいた。 というか、いっつも一等賞じゃないか、こいつ。 太一「おはよ」 冬子「……(ぷいり)」 シカト? シカトですか。 太一「パンツ……」 冬子「くどい」 太一「パンツ買ってくんない?」 冬子「どーして私があなたのパンツを買わないといけないのっ!」 机をどついて立ちあがる冬子。 太一「朝からホットだね」 親指を立てる。 冬子「……」 冬子は親指をぐっとつかんで、ごきっと横に折った。 太一「ぎえええええええっ!!」 太一「あほーっ、折れたらどうするのだーっ! 自慰もままならないではないかーっ!」 危うく手首を返したからよかったものの。 冬子「話しかけないで」 太一「昨日のテレビ見たぁ?」 冬子「話しかけないで!」 太一「……むぅ」 話しかけないでと辛口に言われると、話しかけたくなる。 話しかけると、また、話しかけないでと辛口に言われる。  ・話しかける  ・部活に行く しばらくそっとしておこう。 冬子は最近、ずっと変なままだ。 変なまま固定されてしまっている。 こういう時は、先輩とお話でもして心を濯ぐのだ。 美希「あ、先輩ー」 太一「よっす」 壁に寄りかかって所在なげにしている美希と遭遇。 太一「どしたの?」 美希「はー、ま、ちょっと」 太一「?」 美希「どちらに?」 太一「屋上」 美希「……もしかして、部活ですか?」 太一「もしかしなくともそうだ」 美希「はー……」 美希は少し唖然とした。 美希「本気で部活、ですか」 太一「他にすることもないしさ」 太一「ただの顔見せだけどね」 美希「……」 太一「一緒に行く?」 美希「あー、今はちょっと……」 と。 近くの女子トイレから、一人の女子が出てきた。 佐倉霧だ。 FLOWERSのもう片方。 ショートカットのちょっと中性的な女の子。 霧「…………」 霧は、ちらと俺を一瞥した。 そして無視した。 霧「お待たせ」 太一「お は よ う」 滑舌全開で挨拶した。霧に。 霧「……ども」 心底嫌そうに、挨拶を返してくる。 当然か。 なぜなら、俺は霧に激嫌われているからだ。 だけど嫌われるほどに、相手が気になってたまらない。 太一「今日ってチョー暑いよねぇ。やっぱこれが———」 霧「行こう、美希」 美希「霧、きつい……」 太一「うん、行こうー」 両手をおきゃん(死語の世界)に広げながら、二人に並んで歩く。 霧「……黒須先輩」 太一「なに?」 立ち止まる。 霧「美希と行きますから」 太一「でもFLOWERSはトリオ、一心同体だぞっ」 霧「……ちっ」 舌打ち。 うわあ……。 なんかゾクゾクする。 太一「霧、ところで今度デートしよう。おもしろい映画やってるんだよ、今」 霧「……気でも狂ったんですか、黒須先輩」 霧「からかうのはやめてください。これ以上は無視しますから」 太一「あらら」 別に本気で嫌がらせをするつもりはない。 このくらいにしておくか。今日は。 甘いものは、少しずつ舐めるから甘美なのだ。 いっぺんに食べてしまっては興ざめだ。 食べるだって? 太一「こら! 引っ込め!」 自分の側頭部を殴る。 霧が怪訝な顔で、俺を見ていた。 それも一瞬。 霧「行こう……ってどうしたの?」 美希「……胃が」 霧「痛いの?」 太一「痛いの?」 美希「あ、ハモハモした……」 霧「……ちっ」 霧に睨まれる。 ……なんでやねん。 美希「わたしが死んでも……ふたりとも、喧嘩したらだめだよ……うっ……」 太一「美希ーっ! 美希、ダメだ、まだ逝くな! おまえがいなかったら、誰が俺の子を産んでくれるんだ!」 美希「霧ちゃんが……ばんばん産んでくれますよ……」 超朗報。 太一「マジでっ!?」 霧に詰め寄る。 霧「……美希、ふざけるのやめて」 美希「いやん、本気で怒ってる?」 霧「もうお弁当のおかずとりかえるのしてあげないよ」 美希「それだけはーっ!!」 すがりつくし。 太一「……結局仮病ですか」 美希「いや、胃が痛いというのは……だからつまり……精神的なひゆで」 美希「っつーか、仲良くしろおまえらー」 泣いた。 太一「え、俺? 俺が原因?」 美希「サンドイッチの具の気持ちになってくださいよ」 太一「3……両手に花?」 さすがに3Pとは言えなかった。 太一「あふ、ちがうか……パンが男なわけだから、これはいわゆるひとつの二穴責めてやつぅー? AVとかでもほとんど見たことないゾー!」 嬲。 鼻血出そう。 美希「だめだ、この素敵星人」 霧「……みーき」 美希「はいはい。じゃ先輩、ごめんなさいです」 太一「うん、俺もちょっと顔出してこないと」 美希「ではわたしどもはこれにて」 俺はフェンシングの構えを取る。 太一「霧、今はまだ美希を預けておくが……いずれは小生がいただくカラナ」 美希「きゃーい、三角関係のひろいん〜♪」 霧「……」 無視。 そのまますたすたと歩み去る。 美希が居残って、そっと俺に耳打ちを残す。 美希「……霧っちも悪者ではないんですけど……すんません……」 太一「いいさ」 美希「その分、美希は先輩のこと好きですから」 太一「お?」 美希「いつか霧ちんと和解してセクハラできる日が来るといいです———」 霧「美希、はやくっ!」 美希はびくっとした。 美希「うひー、ではでは」 太一「ばいばい」 小走りに霧と合流し、遠ざかっていく二人。 今のは、フォローのつもりなんだろうな。 微笑ましい。 両名の背中に呼びかける。 太一「あー、二人とも」 立ち止まり、振り向いたのは美希だけだったが。 太一「くれぐれも体調には気をつけるんだぞ」 美希が元気良く挙手し、霧がちらりと目線を流した。 屋上に行ってみるとアンテナの組み立ては遅々として進んでいないように見えた。 太一「先輩?」 見里「……んあ、んんあ?」 太一「朝から寝てるったぁどういう了見っすか」 見里「ううん、寝てませんよ?」 よたよたと身をもたげた。 見里「とりあえず、おはようございます」 太一「おはようございます、先輩」 太一「日中にここで寝こけると陽光で死にますよ?」 見里「あ、はい、そうですね、気をつけました」 スカートの裾を持ち上げて眼鏡をふく先輩。 ……パンツ見えてるし。 寝ぼけてます、この人。 まさか徹夜して泊まったんじゃなかろうな? それを問う勇気はなかった。 むっちりとした太股。 昨今の日本はといえば。 世間的な規制&風潮に逆らってロリまっしぐらロリスキー。 一部メディアにおいてはロリがなければ許されない有様だ。 この黒須太一、そんな世の中にひとこともの申す! それは病気です。 幼い子も可愛いが、この太股と淡い水色の股布もまた良いものなのだ。 見里「にゃむっ……」 眼鏡を拭きながらあくびを噛み殺す。 素だ。 素の先輩である。 スカートがぱさりと元に戻った。 先輩は眼鏡をかけ直す。 見里「眠いですよ……」 太一「でしょうな」 見里「えーと、なんでしたっけ?」 太一「仕事ください」 見里「どうして背中で語りますか?」 太一「立体的な問題によって、と今は申し上げておきましょうか」 見里「哲学的、とても哲学的です」 本当はひどく肉体的かつ低俗な理由なのですが。 太一「部活に参加するんで、仕事ください」 見里「ああん……」 先輩はブツブツ呟きだした。 聞き耳を立てるが、いまいち聞こえない。 断片的に、 見里『悩んでいたのが馬鹿みたい』 見里『逃げてたわけじゃなくて』 見里『犬みたい』 見里『なついて』 見里『別に邪魔ってことは』 見里『おつきあいする対象としては』 見里『やっぱりこっちが年上で』 見里『ひくっ』 最後のはしゃっくりだ。 なんか変だぞ? いつも微妙に変な素敵レディだけど、今日は壊れすぎだ。 太一「せ、せんぱい?」 見里「原稿……」 太一「なんと?」 見里「げんこーやってくださーい」 とろんとした瞳でそう言う。 太一「原稿って、なんのです?」 見里「群青学院放送部の初回放送用の原稿です」 太一「ああ、要するにそのアンテナでゆんゆん飛ばすための放送用台本ですか」 見里「そうです。求められるものは、知性に感動、涙と真実。聞く者の耳朶を打ちどこまでも爽やかにさせる古き良き若者文化の再来を我が放送部の手でいや声で実現しようではありませんか!」 先輩の足下に酒瓶がいっぱい転がっていた。 太一「おおおおおおおっ!?」 見里「モラルの欠如、行きすぎた利己的な個人主義、自分が怠惰に過ごすために利用される基本的人権、このようないい子ハザードによって汚染されている現代社会に——」 見里「私たち若者は互いに築き上げる交友を持つことができるのでしょうか? 我が群青学院放送部は、この疑問に対して満足のゆく答えを提供することができると考えています」 太一「日本語うまいですね」 見里「くっくっくっ……」 笑うし。 握りしめられていた拳が、ふらふらと宙をさまよい、ポケットに落ちていった。 出てきた。 ワンカップを握りしめて。 太一「あーあーあー……」 もう滅茶苦茶だ。 ぐいと飲み干す姿が、改めて素敵だった。 おやじだ……。 見里「げんこーを、書くのです」 座った目で言う。 太一「は、はい……」 見里「〆切は日曜日です」 太一「はい」 見里「よろしい!」 見里「デハワタシハ、ソンナ原稿ヲ書クアナタノコトヲ頼モシク思イツツ、ココデヒトトキノ眠リニツキタイト思イマース」 太一「なんで外人か」 見里「うー」 床に寝そべる。 太一「あかんだろ!」 見里「くふふふふふふっ」 太一「先輩、先輩ってば」 見里「すかこー」 寝たか。 あの真面目な先輩がお酒を……。 太一「あの、とりあえず……保健室で寝るとか」 見里「ぺけくん、よろ子……」 よろしく、を擬人化した言葉で、先輩はすべてを放棄した。 太一「もう、だっこして運んでいっちゃいますよ?」 見里「ZZZ……」 太一「おっぱいとかおしりとか触っちゃうかもです?」 太一「起きたらパンツがなくなってたりするかもしれませんよ?」 太一「目が覚めたら……なんか小俣がスースーする、なんだろう……やだっ、わたしパンツはいてない? どういうこと? なにかふしだらなことしちゃったの? うそぉ……そんな……やだ……あっ、濡れちゃってる……どうかしちゃってる、わたし」 太一「どうかしてるのは俺だっつーの!」 自分の側頭部を殴った。 太一「まったく……」 仕方ない人だなあ。 とりあえず先輩の上体を起こす。 くってり。 首がうなだれた。 本気で寝ている。 太一「……あああ、なんだか……なんだかいけない気分に……」 ぎゅっ 抱きしめた。 胸元で潰れる、ふたつの風船的感覚。 太一「感動した」 次の感動は……。 背中のあたりをごそごそとまさぐる。 ブラのホックを発見。 外す(所要時間0.5秒)。 ブラそのものをずらして、前止めの隙間から、するするするーっと抜き出す。 人肌のそれを、己の鼻先に添える。 い・い・に・ほ・い。 太一「……介抱する報酬、確かにいただきましたよ、見里先輩」 ポケットにしまい、先輩を背負う。 けっこうずっしり。 でもほどよく乗ったふたつの感触がたまらない。 特に胸が。 シャツ一枚を隔てて生胸。 鼻息も荒くなるし、テントも設営される。 テントマンの誕生だった。 太一「さ、行こう」 どうせ見る者もいまい。 屋上→階段→廊下→購買→通用門→階段→屋上→廊下→購買→通用門→廊下→保健室 いかんいかん。 背中に弾む感触があまりにも素晴らしくて、無意味に学校中を巡ってしまった。 さて。 保健室に人はいない。 あいているベッドに先輩を寝かせる。 太一「おやすみ先輩、良い夢を」 太一「……」 ぶちゅう 太一「さてと」 ようやっと、一日のはじまりだ。 ……いや、ほっぺだぞ? うちに帰る。 相変わらず、睦美おばさんの姿はない。 かわりにメモが置いてある。 『夕食がないこともない』 太一「行く行く〜」 うきうき家を出る。 夜が暑苦しくないのが、田舎のいいとこだ。 窓から滑り込む風はほどよく冷たく、肌に優しい。 今日は書き物がいっぱいだ。 日記はもちろん、原稿も書かないと。 原稿から片づけるか。 太一「……ふーむ」 初回放送にふさわしい文面、か。 太一「…………」 難。 書いては消し、書いては消し。 一進一退の攻防。 一時間後、机に突っ伏す。 おいおい、進んだの二行だけだよ。 『我々は、群青学院放送部である。この放送域はただいま我らによって占拠された。全員すみやかに武装を放棄し———』 太一「ダメだダメだ!」 原稿用紙を破り捨てる。 受けを狙いすぎて、全然趣旨から外れてしまっているっっっ! 真面目でいいんだ。 ちょっと微妙なおもしろみを加えようとして、おかしくなった。 太一「やめだ」 今夜は気分が乗らない。 日記を書こう。 感情を対象化せよ! カレーパンのカレーをごはんにかけて食べだしたのは誰なんだろう? そんな疑問が、いつも僕を差違なむ。 ※差違なむ=太一の誤字。苛むという意味を、差違による違和感と結びつけた論理的な間違い。 太一は同様にタートルネックをトータルネックと間違えて認識しており、首をトータルに包むからトータルネックなのだと今なおかたく信じている。 わかたれることのない路を、幾度となく繰り返し往腹してきた、日々の終わりにわずかなりともむなしさを感じてならない。 ※往腹=太一の誤字 ボードレールは言った。 『神は死んだ』と。 神の存在を疑うことはたやすいが、神の悪戯というものは存在し否応もなく人生に降り注ぎ毎日通う路にも似て直線的であると信じていた人生に、突如として分岐点を儲けようとするのだ。 ※儲けよう=太一の誤字 たとゑば教室で、意固地な女性と無毛な会話を繰り広げた時。 ※無毛=不毛の間違い たとゑば廓下で、仲の良い友人と疎遠な友人のふたりに同時に会った時。 そしてまたその二人同士が友好的な関係を築いていたとき。 私はそのどちらに対しても、×××(塗りつぶされている)の屹立する意志を感じずにはいられずまた彼女たちが等しく有する神秘の××××で×××に鼻寄せ口つけて××××の際には惜しみない愛とともに—— あるのであり×××を××××することについては×××しまいには××××××××××××××××が××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××。 『語りえないことについては、沈黙しなければならない』 これはキルケゴールの有名な言葉だ。 霧嬢の奥ゆかしい中性美と、それに対する私の正当なる熱情についての言及は、ここまでにしておこう。 人生の喜びはこれだけではないのだから。 そう。 屋上で出会った我が人生の先達であり、母なる包容力をもってして接し慈しんでくれる見里嬢については、いくら書いたとしても私腹は尽きない。 ※私腹=太一の誤字 まず何と言っても太も(以下、検閲) そして私の手には、彼女の身につけていた胸布が残された。 すでに体温の失われたそれを介して呼吸をする時、仄かな少女のスメルは私をまたたくまに幻想的な幻想へと連れ去るのであった。 〜FIN〜 決まった。 詩情に溢れかつ哲学的。 芸術の都ロンドンに生まれていればスターダム確実の文才がほとばしった。 いやあ、ただ小難しい言葉を使うだけで、気取れるものだなあ。 タームとかトートロジーとかアイロニーとか、そういう専門用語も決して平易な日本語に訳すことなくバンバン使っていかないとな。 太一「んっ」 伸びをしてリラックスする。 作家というのも悪くない。 ちょっと現代日本では過激すぎて検閲した部分もあるが。 そうだ、原稿もこのノリで行こう。 ペダントリーの装飾をもって絢爛《けんらん》たる放送絵巻を綴りだし、知識階級の聞き物たる高尚かつ繊細な原稿にしてみせる。 俄然やる気になって、再びペンを取った。 CROSS†CHANNEL 教室に来ると、誰もいなかった。 いつも自席でむっつりしている冬子の姿はなかった。 太一「さて、と」 鞄から原稿用紙を取り出す。 原稿は一晩でできてしまった。 さっそく見せてOKをもらおう。 屋上へ。 見里「ぺけくん」 疑惑の視線に出迎えられた。 太一「おや、部長」 太一「なぜあなたは胸元をガードしているのです?」 見里「……それは……」 赤面した。 見里「あの、昨日のこと、わたしよくおぼえてないんですけど」 太一「でしょうねえ」 見里「ま、まさかまさかっ」 太一「ど、どうしたんです?」 すっとぼける。 見里「…………っ」 うつむいて、懊悩《おうのう》している。 しかし胸を覆った腕は、微塵も揺るがない。 太一「それよりこっちに行きましょう」 先輩の手首をつかんで、引く。 見里「きゃわっ!?」 叫んで焦る先輩。 見里「だめぇぇぇぇっ」 太一「へ?」 見里「すけ……」 太一「すけ?」 見里「すけ、すけ……」 見里「すけーぷごーと」 太一「スケープゴート」 頭の中で、羊が一頭、草むらに突っ込んだ。 見里「スケープゴートは、いやです」 太一「俺だっていやですよ」 見里「気をつけないといけませんねっ」 太一「はあ」 太一「でも俺、先輩をスケープゴートにしたかったわけじゃなくて、日陰に移動したかっただけなんすけど」 見里「あっ、そうですね、じゃあそうしましょう」 ほつれてるなぁ。 移動。 太一「ところで先輩、昨日はお酒飲んでましたね」 見里「あ、え、あぁ」 見里「……スミマセン」 萎縮した。 太一「大変でしたよ」 見里「まさかわたし……酔って……たいへんなことを?」 よし、かかった。 太一「ええ、それはもう口にはできないような破廉恥プレイを」 見里「っ!?」 先輩の目が横長の『×』マークになった。 大絶句である。 見里「ああああっ!」 太一「でもご安心を。僕がうまく処理して、人目につかないよう片づけておきました」 見里「……ああ、そうだったの……どうも、ありがとう」 釈然としないものを残しつつも、先輩は頭を下げた。 見里「でもわたし、いったいどんな醜態を……」 太一「聞きます?」 見里「……」 迷。 太一「なんでしたら責任取りましょうか?」 見里「はい?」 今度は目が点になった。 太一「いや、聞いちゃったら、そういう気分になるかなって」 見里「はわわわ」 太一「いや、冷静に考えるとたいしたことじゃないんです」 見里「そ、そうなの?」 太一「聞きます?」 ずいぶんと長い時間、先輩は寄り目で考えていた。 見里「…………うん」 太一「本当にたいしたことでは」 太一「あそこのアンテナ用の針金を使って、ちょっと全裸リンボーダンス撮影会をこっち向きで」 見里「終わった」 ぺたり、とへたりこむ。 見里「拝啓、春眠の候、その後いかがお過ごしでしょうか……」 架空の手紙を読み出した。 太一「先輩、しっかり」 見里「……これ以上、人生が最悪になるなんて思ってませんでした……」 太一「うまく処理しましたんで」 見里「それで……ブラが……」 太一「もしかして、家に帰ってらっしゃらない?」 先輩は無言で頷く。 太一「じゃあ、今は……目覚めたときのままなのですか?」 再度、こくり。 太一「じゃあ」 ごくり、と唾を飲み込む。 先輩は今。 薄手の透けやすいシャツの下っ。 はだっ、裸っっっ。 服のッッッ下はッッッッッッ裸ッッッッッッッ!! ……って、そんなこと言ったら、世界中の女子っ娘が服の下は裸である。 ま、要するに……ノーブラなわけだ。 先輩、大きめだからなぁ。 シャツが張っちゃうし、目立つなあ。 なるほど、様子が変なわけだ。 太一「とりあえず帰って水浴びでもしてきたらどうです?」 見里「においますか?」 見里「学校の水で、体だけは拭いてるんですけど……」 あ、いいなー、そのシチュ。 早起きしてれば遭遇できたのだろうか。 どうしてそういうイベントに流れ着けないかなあ、俺は。 そういうところが駄目なんだよ。エーロー失格なんだよ。 ※エーロー=太一語。エロ面における英雄的存在。 太一「先輩、任せてください」 見里「?」 俺は教室に戻った。 荷物から、スポーツタオルを取り出す。 太一「これで、かわりになりませんか?」 差し出す。 見里「ぺけくぅん」 感動して泣きそうな先輩。 太一「サラシってあるでしょう? あんな感じにすれば、透けないと思いますよ」 見里「なんていい子なの……」 よよと涙を浮かべつつ、タオルを受け取った。 見里「ちょっと待っててくださいね。動いたらめっですよ」 太一「はーい」 先輩は物陰に消えた。 めっ、されたい気分もあるが、我慢した。 太一「……」 どんなめっ、なのだろう。 寄せた乳房の先端、二粒の野いちごでもって先走る竿の先端を「めっ」と……。 太一「ああああ、ばかばかばか! 俺のばかっ!」 数分後。 見里「やー、ぺけくん、おはようございますっ!!」 めちゃくちゃ晴れやかな顔で現れた。 胸を張り張り、 見里「今日も夏日ですね。まだまだ暑さは続きそうです」 太一「ま、まったくですな」 見里「それで、今朝はどうしました?」 太一「昨日依頼された原稿をお届けに参りました」 見里「原稿? 初回放送用の台本、書いてくれたんですか?」 太一「はい」 見里「ぺけくん、すごいです。見違えました」 表情は好意と感嘆で満ちている。 太一「いやあ〜」 俺はロールパンのようにくねくねした。 見里「拝見させてもらっても?」 太一「これにございます」 見里「では」 原稿用紙を渡す。 先輩の瞳が、きっと厳しさを増す。 用紙の上を軽やかに視線は走った。 太一「……」 ほどなくして。 先輩は顔を上げた。 満面の笑み。たとえるならば……聖母。 聖母光臨。 後光を背負って、彼女は言った。 見里「没」 太一「わっふぅーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」 柵ごしに、俺は街に吠えた。 太一「出直してきます……」 見里「期待してます」 すごすごと校舎に戻る。 太一「あ、そうそう、タオルは決して洗わずに返してくださいね」 見里「はい?」 と、先輩が小首をかしげた瞬間。 立てかけてあった様々な資材が、ゆっくりと動き出した。 太一「OH! デンジャラス!!」 見里「え?」 間に合わない! 脚立や鉄針、工具……そんなものが。 一斉に先輩に降り注ぐ。 降り注ぐ——— 見里「……ん……」 先輩が起きた。 太一「良かった……無事で……心配したです」 見里「わたし確か」 太一「ひっく、たいしたことなくて本当に良かったよ……」 太一「姉さん」 見里「違います」 太一「切ないですね」 素に戻り言う。 見里「状況を教えてください」 太一「先輩が怪我をしました」 太一「手当してもらってここに」 太一「で、今目覚めた、と」 見里「怪我したんですか、わたし?」 太一「ちょっとだけ」 見里「えっと……?」 全身をまさぐる先輩。 腕に巻かれている包帯。 あちこちに張られた絆創膏。 見里「いたたたっ、あちこちが痛い……」 太一「全身に軽い打撲とか、あるんで」 見里「……うかつなわたし」 太一「大事がなくてよかったですよ」 見里「……ありがとう、ぺけくん。呼びかけてくれて」 太一「なんの」 見里「さて、じゃあ部活に……」 太一「こらこら、動かないで」 押し止める。 見里「なぜです?」 太一「基本的にはたいしたことないんですけど……」 おもむろにシーツをめくって、スカートもめくった。 むちむちした大腿部が露出した。むちむち。 見里「……………………」 太一「ほら、このむちむちした太股のとこ、ちょっとささったとですよ。だから今日は部活の方も休んでご自愛いただいてですね……」 見里「はふはふ」 ぱくぱくと口を開閉させる。 太一「うわっ、血が滲んじゃってるな」 血。 太一「包帯、かえときます?」 カクカク頷く。 包帯を持ってきて、取り替える。 太一「いやー、それにしても」 太一「色っぽいおみ足で」 見里「自分でやります」 太一「え、ダメですよ。任せてください」 見里「お、お願いですからぁ……」 太一「だって」 太股を見る。 血が滲んでいる。 大変だ。 太一「だって」 こんな綺麗な血が。 流れ出てしまうなんて。 赤い血。 赤。赤。 目眩を感じて、目を閉じた。 開く。 ああ……。 世界はいつだって曖昧だ。 蠢くものたちは、触れるだけで赤くなる。 簡単だ。簡単なことだ。 全ての感覚が強化され、不可視のものが見えるようになる。 可視光域の幅が変わる。 視界はぼんやりと霞み、動くものを敏感に察知する。 唐突に、自分が何者かを忘れる。 意識が切り替わる感覚。 動く。 身体感覚があいまいだ。 どこからが自分で、そうでないかがわからない。 視野の中心に赤い点。 接近してみる。 ノイズ。 何か現象があったらしい。 詳細はわからない。 体感できない。 世界と一体化した、その全能感だけがすべてだ。 ノイズ。 なんだろう、コレは。 世界にあって異質なもの。 赤い点。 ああ。 ああ、わかるよ。 俺は錯誤しているんだ。 目に見えるものが一義的に日常であると決めつけている。 実際はそうではない。 その矛盾が、視野の狭窄《きょうさく》と改変をもたらす。 出番を心得た獣が、喜悦に身じろぎをした。 現世とは異なる法則・衝動・配列に従って本能を構築した獣だ。 太一「wwwヘ√レvvwwヘ√~~」 俺は音を発した。 ノイズ。 これは……何? 意識をこらせ。 聞き取れ。 解読しろ。 結線しろ。 定義しろ。 そうだ。 これは音だ。 自ら口にしたものと同種の波。 意識が収束する。音とわかれば、翻訳もはやい。 *********** 見********** 見里*け****ん?* 見里「ぺ*…**ん?」 見里「ぺけ…*くん?」 見里「ぺけ……くん?」 ああ、なるほど。 みやすみみさと 宮澄見里。 先輩だ。 先輩の言葉。 先輩の赤だった。 見里『いつもお一人なんですね』 だから。 見里『一緒に、部活しませんか?』 攻撃を、禁ずる。 太一「すっこんでろっ!!」 見里「わっ」 視界がクリアに。 太一「…………ん」 頭痛がする。 太一「まったくもー……」 このタイミングで。 血と夕日の組み合わせは、本当に良くない。 泣きそう。 太一「いやー、困ったもんですね。わはは」 見里「しくしくしく」 マイヴィーナス、先輩が泣いていた。 太一「誰だ! 先輩を泣かしたヤツめ、出てこい!」 徒手空拳の構え。 太一「俺のカラデを食らわせてやるぞ!」 見里「しくしくしくしく」 太一「先輩、誰にやられたのです!?」 先輩は俺を指さした。 太一「自分に打ち克つのは克己《こっき》って書くくらいで難しいナァー!!」 見里「ぺけくん? ぺけくん?」 太一「あ……はい?」 見里「あ、いつものぺけくんに戻ってる……」 太一「永久にあなたの愛王子であるところの太一です」 ひざまず 跪く。 太一「ワタクシメのカラデがご入り用ですか?」 見里「カラデとかいうわけのわからない格闘技はどうでもいいのですが……」 見里「さっきのぺけくん、ロボディアンみたいになってて、恐かったです」 ※ロボディアン=見里語。ロボットの意。 太一「太一ロボですか?」 見里「そんな感じです」 太一「錯乱したのです」 見里「……もう平気ですか?」 深くは突っ込まれなかった。 太一「はい、デュアルブートされたマイOSのチェンジはもうクイックにジエンドでございますゆえ」 見里「橋崎先生にぺけくんは英語の成績がひどいと聞いていました」 太一「それより先輩、はやく血を」  ・手当する  ・しない 見里「あ……」 先輩の下肢を(今度は下心なく)白日にさらした時。 出血している部位……に……歯形を見た。 少量の血液が薄く広がり赤い湿気を与えている傷口の、周囲。 何者かが、傷口を食いちぎろうとしたようにも見える。 いや。 そうとしか、見えまい。 太一「……先輩?」 見里「はい?」 太一「……軽蔑、しましたか?」 見里「軽蔑?」 太一「その」 言葉にならない。 自分でさえ、うまく翻訳できない行動と気持ちを、どう釈明したらいいのか。 太一「だから」 先輩がふっと微笑む。 見里「軽蔑するようなことは、なにもしてませんよ、あなたは」 太一「……そう、ですか?」 だって。 傷口を見る。 先輩はそっとスカートで覆う。 見里「おりこうさんなので、不問とします」 見里「部活、手伝ってくれましたし」 太一「……」 太一「手当、させてください」 見里「……はい」 そして俺は、先輩の手当をした。 今度は、発作も起こらなかった。 嬉しかったから。 より上位の感情が、あったから。 見里「くすぐったいですー」 太一「ご、ごめんなさい……緊張して」 見里「包帯まくのへたっぴですねー」 太一「経験なくて……」 見里「く、くすぐったい〜っ」 太一「うううう〜……」 そんな幸せな時間が。 あったんだ——— 見里「あ!」 太一「はい?」 見里「わたしの携帯はどこです?」 太一「携帯、ですか?」 唐突な日常の言葉。 思考が麻痺した。 見里「落としたみたいです」 ひどく困った顔をする。 太一「探してきます。きっと屋上だ」 見里「お願いします」 保健室を出て、屋上に向かった。 携帯はすぐに見つかった。 散乱した資材の間に、転がっていた。 太一「どうして携帯なんて」 些細な疑問。 太一「いや」 すぐにうち消す。 誰だって、何かに頼っているはずだ。 俺がそうしているように、先輩もまたちっぽけな携帯電話に、大きなものを託しているのかもしれない。 太一「これですよね」 見里「ああ、それ」 破顔一笑、受け取る先輩。 見里「ご苦労様。これでチャラですね」 太一「え……?」 笑いきれずに、顔が歪む。 悪い冗談を聞いたようだ。 太一「ずいふん、あっさり許してくれるんですね」 見里「わたしだって群青なわけですし」 見里「それに、またしますか?」 太一「……わかりません。可能性はありますよ」 太一「発作みたいなものですから」 見里「じゃあ情状酌量の余地はあるわけですよ」 太一「……甘い」 見里「え?」 太一「みみ先輩は、甘いな」 太一「俺は安全な年下の男なんかじゃない」 見里「でもやめてって言ったらやめてくれましたし」 そうなのか? 言葉を解することもないはずなのに。 偶然? そうに決まってる。 でも、どうだろう。 太一「このまま先輩と親しくしてたら、いけないのかも……だってそれは」 言葉が途切れる。 静寂の夏。 あまりにも静かで、部活や授業の気配さえ消えていて。 せいひつ 静謐が支配する白い保健室。 世界が黄昏に満ちているのだから、白を基調とする室内は抗うことなく従属し、胎内に抱く二つの異物を生贄とばかりに夕暮れに差し出すはずだった。 夕の色は、一日のどんな時間よりも印象に強い。 すべてを異世界へと変えてしまう、おどろおどろしいもの。 滅びの時間だ。 世界が多重に見える時間。 沈んで、翌日また何食わぬ顔でやってきた大陽が昨日のそれと同一であると、誰が保証できるのか。 毎日一回ずつ、世界が滅び去っているとしたら。 翌日とともに蘇生され、ただ人間だけがそれを知らないのだとしたら。 確認するすべはない。 実際の世界と、人間の認識する世界が、同じだという保証はどこにもない。 なのに今、ただ保健室の小空間だけが、緋色の侵攻から免れているように思えた。 いつになく、世界が鮮明に見ていたからだ。 見里「……完璧な人なんて、どこにもいないじゃないですか?」 見里「誰だって、どこかおかしいじゃないですか」 見里「いちいち欠点や失敗を攻撃していたら、生きていけないです」 見里「ねえ、そうでしょう?」 太一「……」 涙のひとつも出れば、格好悪く格好がつくのだが。 不思議と、激しい情動はなりをひそめていた。 太一「……一人だった俺を、部活に誘ってくれた先輩のことは、ソンケーしてるわけで」 とつとつ 訥々と話す俺。 見守る先輩。 静かに時間がうつろう。 太一「嫌われるのは嫌だから、傷つけたくもなく」 太一「……さっきのことは申し訳ないと思っていて」 太一「でも自制する自信はなくて」 見里「どうすればいいですか?」 太一「え?」 見里「まずどこに気をつけたらいいんです? わたしとしては」 太一「……それは」 冷静に考えれば。 太一「先輩の血を見ないようにすれば」 見里「怪我に気をつけろってことですね?」 太一「はい」 見里「でもわたしはアンテナを組み立てたり、工具使ったり、怪我をする危険に面している」 太一「はい、だから俺がそばにいない方が」 見里「ぺけくんが」 遮って、言った。 見里「力仕事を手伝ってくれるんでしょう?」 太一「……………………」 効いた。 じんわりと、肋骨に包まれた胸の奥を、震わせた。 見里『いつもお一人なんですね』 見里『一緒に、部活しませんか?』 心の中の語録に、一つ、加えられたその言葉は。 圧倒的にあたたかく、やわらかく、力強かった。 自分一人では解決できない悩みを、他人のたった一言が解消してしまう。 そのために、人は互いに通じ合いたいと思うのだった。 言葉で、体で、携帯で。 ……通信で。 ありとあらゆる手段で。 触れあおうと努力できる。 それが人だ。 見里「やっぱり組み立て、手伝ってもらうことにします」 太一「……はい」 気恥ずかしい。 先輩はにこにこと楽しそう。 曜子さんは、俺のことを強力な人間だと言った。 そういう価値の認め方は、好きじゃない。 違う。 俺以外の人間は、えてして凄い。 いつだってみみ先輩は、俺をいい気にさせたり手玉にとったり魅惑したりする。 そんなこと……自分ではできない。 そばにいたい。 時が許す日まで。 終わりの日まで。 そしてまだ、時間はあるのだ。 太一「おねがいします」 見里「ん」 頭を下げて、 先輩の手がぽんと置かれて、 こそばゆくて、 やっと笑えて、 これで、もとどおり。 涙が出るほど嬉しかった。 先輩の手が、カーテンをあける。 一瞬で、保健室はオレンジ色に食べられた。 友貴「太一ー」 廊下を歩いていると、呼び止められた。 太一「お、まだいたの?」 友貴「そっちこそ」 友貴の顔が能面のようだった。 微妙な距離を置いて、ふたり。 太一「部活だったんだよ」 太一「最近部活に出てる」 友貴「……どうしてまた?」 太一「いや、目的があっていいじゃないか」 友貴「部活って、例の与太話?」 群青学院放送局の開局。 太一「与太じゃないよ、たぶん」 友貴「太一がそういうことするのは……なんか、まあ、理由あってのことだろうけど」 友貴「他に誰が参加してんの?」 太一「部長」 友貴「……だけ?」 太一「そう」 友貴「それ部活じゃない……」 太一「部活と思えば自慰だって部活だ」 友貴「……最近、いろいろと動いてるのは知ってたけど、部活とはね」 肩をすくめた。 太一「そっちこそ。今なにやってんだ?」 友貴「部活」 太一「わはは」 太一「……え、意味わからん?」 友貴「本物の部活」 友貴「暇だったら参加してくれよな」 太一「そりゃいいけど……」 友貴「……裏切られるぞ」 ぽつ、と言う。 太一「誰に?」 友貴「部長に」 太一「なぜ?」 友貴「だから、あまり親しくしない方がいい」 背を向けて、友貴は立ち去る。 様子が変だったな。 どうしたんだろう? 帰路。 大人しかった蝉たちが、再びじわじわと鳴きはじめる。 新川「ちょいーす」 太一「ん……おお、谷崎!」 新川「鴻巣! 元気だったか」 太一「ああ、この鴻巣太一、たとえ免停になっても元気だけが取り柄だ」 新川「それを言うならこの谷崎豊だってそうだぜ?」 太一「数日ぶりだな、谷崎」 新川「ああ、鴻巣」 太一「谷崎は学校いつから来んの?」 新川「いちおー、明日になった、鴻巣」 手にしたA4封筒をひらひらと振る。 学校関係の書類だろう。 太一「お、うちのクラスに転入してこいよ谷崎」 新川「鴻巣、無茶言うなよ。自分じゃ決められないってーの」 太一「わはは」 新川「わはは」 二人でげはげは笑う。 太一「だけどさ谷崎———」 新川「……OKギブアップだ! 新川豊です、すいませんでした黒須さん」 太一「ああ、やめとく?」 新川「果てしなく続きそうだったから」 太一「もう帰り?」 新川「ああ」 太一「どうする、うち寄ってくか?」 新川「近いのか?」 太一「こっから十分くらいかな」 新川「いいトコ住んでるなぁ。けど悪い。今度にするわ」 新川「姪がさー、やっぱ群青行くんだけどさ、いろいろ教えてやらんと」 俺の耳、 そういう情報、 逃さない(ぐっ)。 新川「なに親指立ててるよ?」 太一「ヘイ、そこのガイ」 新川「な、なんだよ?」 太一「マジごめん。姪、とか聞こえちゃった」 新川「そう言ったっちゅーねん」 太一「歳は?」 新川「俺の一個下」 太一「写真持ってる?」 新川「……黒須?」 太一「ああ、いや、なんでもない。忘れてくれ」 太一「しかしあれだ、一つ違いだと可愛いだろう」 新川「んー、ま、ルックスだけはな」 太一「全てじゃねぇか」 自然と声が低くなった。 ある種のやっかみと嫉妬と……憎悪と。 新川「は?」 太一「いや、気にしないで」 新川「……つうても、ちょっと男っぽいからさ」 新川「最初に言っておくと、そういう感情はないぞ。なんかそういう目で見ようとしても気色悪いだけだし」 太一「うそダーッ!」 新川「わ、どうしたいきなり」 太一「そんなのうそだーっ! おまえはうそつきだ! 可愛い年下の親族がいるんだぞ? 意識しないはずないじゃないか!  おまえは仏国書院の一冊も読まないのか!? ありえねー! 解せねー! よっておまえがうそつきだと証明された!」 新川「黒須……かわいそうだが、マジなんだ」 太一「いやっ、聞きたくない!」 新川「本気で、妹みたいなもんなんだよ。同居してるし」 同棲っ!? 同じベッドッ!? 異性のぬくもりっ!!?? 太一「お、おい、そのロケーションには途轍《とてつ》もない何者かの意志が介在しているぞ」 新川「……また都合の良い勘違いをしてるんだろうなー」 新川「そいつの家族に、俺が引き取ってもらってるんだよ」 新川「だからまあ、兄妹みたいなもんだ」 新川「今回、家ぐるみで引っ越してきたんだよ。俺の足のこともあるけど、そいつもちょっとアレでさ」 太一「ああ……」 そういうことか。 一発で納得だ。 それで二人して群青に通う、か。 太一「あれ、そうするとチミは、姪子ちゃんのためにつきあいで転入みたいなもの?」 新川「そうなるかな。いや、俺だって障害持ちですが」 新川「そして姪子ちゃんでもねぇけど……」 太一「優しいお兄ちゃんだな、オイ」 新川「あの、姪の話になってから絡みっぱなしなんですけど?」 太一「羨望を集めるってのはそういうことだ」 新川「そうかあ〜? ずっと暮らしてるとさー、生理的なこととか見えてきてけっこうアレなんだぜ?」 太一「アレ?」 新川「外見はいいとこもあるんだろうけど、欠点がバリバリ見えるから、たいしてきれいなモンにゃ思えないって感じか?」 新川「食うものは食うし、出すものは———」 太一「あ、その先はいいや。夢は大事にしたい」 新川「……おまえの夢って」 太一「ぜひおまえとチェンジして姪子ちゃんとイチャイチャしたいものだ」 新川「うわ−、想像させるな気持ち悪い」 太一「現実は駄目だ……」 本気で気持ち悪がってるよ、この人。 エロ小説万歳。 太一「じゃまた今度にでも遊びに来てくれ」 新川「おー、姪のことも紹介してやるよ」 太一「マジか?」 俺はわなわな震えた。 新川「……たいしたもんじゃないんだけどな……あんま期待すんなよ?」 たいしたものじゃない。 そう言ったやつの目がテポドン級の節穴であることが、後に明らかになるのである。 夜。 太一「……しかし」 原稿である。 あれで没ってことは、どう攻めたらいいんだろう。 手が動かない。 ペンは走らない。 停滞。 太一「うーむむむ」 そうだ。 タンスの中から、着流しを取り出し、着替える。 太一「……文豪爆誕」 気分が大切だからな。 そんなことをやっていると。 友貴「おーい!」 玄関からの声だった。 太一「なにかね?」 友貴「うわ……太一?」 突如とした現れた着物の男に、友貴はびびったようだった。 友貴「なんて顔だ……」 太一「ほっとけ」 友貴「間違えた。なんて格好だ……」 太一「本当に間違いなのかそれは?」 友貴「ジャパニーズキモーノだな」 太一「ジャパニーズソーセキでもある」 友貴「ソーセキか……すごいな」 友貴「いつもそんな格好なの?」 太一「……」 太一「無論だ」 友貴「すごいね」 友貴はよりいっそう俺を尊敬したようだった。 着たのは二度目なのだけど。 太一「で、こんな夜更けにどうした」 友貴「いや……どうしたもこうしたも……これ、太一の分」 段ボール箱だ。 受け取る。 太一「重いな」 友貴「詰めてあるから」 太一「中身は……暗くてよく見えないな」 友貴「部活のおすそわけだよ。夏場だし、無駄に抱えてても腐るしさ」 太一「なんかの食い物?」 友貴「そう」 太一「悪いねぇ」 友貴「いいよ、だって」 友貴「友情は見返りを———」 太一「求めない」 ぐっ 俺たちは不敵に笑いつつ、親指を立てあった。 太一「黒須太一は、青春純情ボーイ・島友貴を応援します」 友貴「いやあ」 友貴「あ、そうだ」 顔が引き締まる。 友貴「桐原がさ、倒れた」 太一「……にゃにぃ?」 友貴「正確には倒れていた」 太一「あいつはハラキリ拳の使い手で、俺のカラデをもってしても倒すのは容易じゃないはずだ」 友貴「その倒れた違う。それにカラデってのもわけわからないし」 友貴「そんでさ……今は桜庭が看護してるんだけど、当然役に立たないから……支倉先輩に看てもらえないかなって」 太一「ああ、いいよ」 友貴「すぐ頼んでもらえる?」 太一「ああ、じゃちょっと行ってくるわ」 サンダルをはいて、彼女の家に向かう。 戻ってくると、まだ友貴がいた。 太一「いいってさ。もう行ったよ」 友貴「……はや」 友貴「太一の言うことだけはよく聞くんだ」 太一「そうしないといろいろエラーが起こるからな」 友貴「え?」 太一「それより、あがって98(キュッパチ)でゲームでもやってく?」 ないが。 太一「おまえ、ディスク交換担当ね」 友貴「98って何? ウィン○ウズの?」 太一「嘘だと言ってくれよ、マイフレン」 友貴「……わけわかしまず」 友貴のギャグはこんなのばかりだ。 太一「本気で98知らないのか?」 パソコン少年の分際で。 友貴「少なくとも、今まで聞いたことはないな」 太一「……そういうものなのかな……いや、俺だって世代違うけど……」 太一「けど友貴、今の発言は昭和四十年代以降に生まれたすべてのパソコンおじさんたちを敵に回したぞ?」 友貴「いや……今さらぜんぜん恐くないし……」 友貴「だいたい昭和なんて古生代に生まれたオールドタイプ100%な原始人のことまでいちいち面倒見てられないよ」 太一「ッッッ!?」 俺は畏怖した。 太一「そんなこと言ったらダメェ〜ッッッ!!」 友貴「なんでさ?」 友貴はわりと恐いもの知らずだ。 太一「そ、それが若いってことなんだろうな? な? 無謀な若さって本当に恐いなあ、友貴よ」 友貴「だってさ……おじさんはおじさんコミュニティで得意のガン○ム話でも永遠にスパイラルさせておけばいいんじゃないかな?」 太一「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」 寿命が縮んだ。 部屋に戻って、電気をつけた。 いろいろあって疲れた。 太一「しかしあっつい」 エアコン、はやく修理してもらわないと。 一階のリビングにはエアコンもあるのだが、なんなく落ち着かない。 太一「水風呂にでも入るか」 入ることにした。 太一「んあー?」 あまりの気持ちよさにちょっと向こう側に行っていた意識を、ドアベルが呼び戻す。 太一「やべ」 急いで出て、体を拭く。 着物を身につけて、玄関に。 太一「はいはーい」 太一「どちら様で?」 遊紗「あ、あの、堂島です」 太一「その極道みたいな苗字とは裏腹にキュートな声は……遊紗ちゃん? あいてるからどーぞ」 ドアがおそるおそる開き、美少女が立っていた。 遊紗「どうも、こんばん……わ」 瞳が開かれる。 黒々とした瞳孔に、俺の姿が映る。 太一「こんばんわ」 遊紗「着物、なんですね」 太一「ああ、これ? 驚いた?」 遊紗「びっくりしたです……」 太一「ソーセキが好きでね」 遊紗「はー」 太一「それに着心地が良いのでね」 遊紗「あのっ、似合います」 太一「本当?」 遊紗「そのー、お髪がお白くていらっしゃられるので……色合いとかが」 太一「それでも、着物は黒髪が一番だよ」 苦笑いを浮かべ。 太一「遊紗ちゃんなんか、もっと似合うんじゃないかな」 遊紗「そ、そんなっ……ひっくっ」 声を張り上げた拍子に、しゃっくりが出た。 遊紗「ひっく……ひっく……ひっく」 太一「あらら」 遊紗「ひっく……、すいません、ひっく……」 太一「止まらないみたいだね」 驚かせるといいんだっけ。 相手が桐原とかだったら、遠慮なく着物の前を全開にするのだけど。 この子を驚かすというのは……。 太一「うーん」 太一「遊紗ちゃん、こっち見て」 遊紗「ひっく?」 見上げた美少女面に、顔を寄せていく。 五センチまで接近して、囁く。 太一「結婚しよう」 遊紗「っっっっっっ!!??」 遊紗ちゃんは凍った。 一分くらい、身じろぎ一つしなかった。 しゃっくりは止まった。 遊紗「あ、あの、今?」 太一「ま、とりあえずあがって」 遊紗「あの、今?」 太一「遠慮なくどーぞ」 遊紗「……今、なにが起こったんだろう……?」 座らせて、麦茶を出す。 遊紗「おうちの方は?」 太一「帰ってこないんじゃないかな、今夜は」 遊紗「えっ?」 複雑な表情を浮かべる。 複雑な事情を想像したに違いない。 実際、多少は複雑なのだけど。 太一「仕事が忙しい時期は社員寮に泊まりっぱなしなんだ」 遊紗「ああ、そうですか……」 太一「それで今日はどんなわくわくするようなニュースを持ってきてくれたのかな?」 遊紗「なんだか外国の小説の登場人物みたいな口調ですね」 遊紗「あの、わたし今日が誕生日なんです」 太一「へえ、そうだったのか」 知らなかった。 太一くん、迂闊。 遊紗「それでですね、これ……お誕生日プレゼントです」 包装紙に包まれたそれを無意識に受け取る俺の、頭の中は『?』で満ちた。 太一「ええと……とりあえず、ありがとう。でも、あれ?」 誕生日プレゼントって? 遊紗「いつもお世話になってるお礼です」 確かに、かなり積極的にお世話している。 というか、惚れさせようとしている。試験的に。 若い頃から優しく接していれば、容姿のマイナス面は緩和できると思ったからだ。 『光源氏は本当にウハウハなのか大検証』というこの企画は、今のところ順調と判断できるデータが揃いつつある。 成功したあとについてあんまり考えていなかったことには、今気づいた。 遊紗「それと、交換日記を明日提出できたらなと思ったので……」 膝の上、なかなか落ち着こうとしない指を、懸命にあやしている。 うつむいて、のぞく首筋がすっかり赤い。 いっぱいいっぱいのご様子。 太一「萌える」 遊紗「……え?」 太一「ああ、できてるよ。取ってこよう」 遊紗「は、はい」 二階に向かう。 彼女の日記と、それと。 室内を見渡す。 遊紗ちゃんに贈れるようなもの。 ぬいぐるみでもあればいいのに、メルヘンとは無縁なマイ部屋。 メルヘンどころか。 官能ONLY。 太一「いかん、いかんなー」 自分だったらなにが欲しいか考えてみる。 遊紗ちゃんの生パンツ。 自然と帯をほどきだす己の手を、理性が鉄の意志力をもって引きはがす。 今まで築き上げたものを、一瞬で地平の彼方へ飛ばしてどうする。 太一「いかん」 誕生日にふさわしいもの。なにかないのか。 太一「あ」 いや、これはどうだろう。 キャラ違いすぎるし。 変な趣味に目覚めたら困るし。 太一「うーん」 意外性は、あるかな。 行けるかも? 太一「ううう〜ん」 階下から、 遊紗「あのー、たいちさーん、わたしそろそろもどらないといけない時間なんですー」 太一「ぬう」 迷っている暇はない。 箱とマニュアルを探して詰め直し、紙袋に突っ込んだ。 太一「お待たせ」 遊紗「あ……」 ほっとする色が浮かぶ。 太一「じゃあとりあえず交換日記と、それとこれは俺からの誕生日プレゼント」 遊紗「…………」 この娘は驚くと絶句する癖があるな。 プレゼントの説明は、また今度かな。 太一「さてと、じゃ家まで送ろうか」 遊紗「……………………っっ!?」 さっきの倍くらいに絶句する。 太一「もう夜だし、ちょっと危ない人もいるからね」 特にこの街にはなぁ。 太一「行こうか?」 遊紗「は、はいっ」 夜道を並んで歩く。 遊紗ちゃんの歩幅は短くて、のんびりよたよた時間は流れた。 太一「そうそう、お母さんにごちそうさまって伝えといて」 遊紗「母にデスカ?」 太一「いつもおいしい食事を饗《きょう》してくださる」 遊紗「……まあ、そうですねぇ」 太一「学校慣れた?」 遊紗「その質問、毎回しますよね、太一さん?」 太一「んー、そう?」 言われてみれば、確かに。 太一「定型句みたいなものだからさ。会話のクッションだよ」 太一「しかし遊紗ちゃん大きくなったねぇ」 遊紗「た、太一さんわたしの子供の頃のことしらないはずでは……」 太一「なんてことを、君はこれからの数年間を言われて過ごすんだよ」 遊紗「たは、もうずっと言われてます」 太一「はじめて会ったときより育ってると思うよ。俺の目から見ても」 太一「一部はまだ未発達だけど♪」 遊紗「……はれ?」 太一「今の自分を大切にしたまえ。肉体的に」 無理だが。 遊紗「えっ? えぁっ?」 遊紗「難しくてよくわかりませんですけど……はい」 遊紗「太一さんが言うなら、がんばってみます」 ぐっと両の拳を握りしめた。 太一「うんうん」 遊紗「あの、すみません、送ってもらって」 太一「酸いも甘いも噛み分けたヤングアダルトの俺には、当たり前のことさ」 指を立ててそう告げると。 遊紗「きょーしゅーです」 太一「はっはっは」 恐縮を読み間違えているんだろうなぁ。 かわええなぁ。 太一「ぜひ君のような娘に、夜の寝室で強襲されたいものだ」 遊紗「夜の寝室でですか?」 太一「はっはっは、ま、いいからいいから」 遊紗「こういう、送ってもらったりするのって、小説の中だけの話かと思ってました」 太一「そお?」 そういえば、この子はコ○ルトな小説が大好きだった。 遊紗「ちょっと驚きました」 太一「さっきも言ったけど、当然のことだよ」 太一「世の中には、大は小を決して決して兼ねないとする一派がいるからね」 太一「哀れな連中さ」 大には大の、小には小の良さがある。 究極的にはどんなものでもいいものなんだ、というのがマイ哲学だ。 遊紗「……」 さすが先輩は大人だから難しいことを言うなあ、という顔をしている。 なにかが刺激された。 太一「だが『私』は、射程距離が長いだけの男にはなりたくないんだ」 ※意訳……俺はお姉さま属性オンリーってわけじゃない 太一「ずっと先を見据えつつ足下にも気を配る人間になりたい」 ※意訳……年上に甘えつつ『よう女』も愛でられたらいいなぁ 太一「ミクロ主義者に対するそんな私の啓蒙というのは、いわゆる一つのメイクドラマなのだと言える」 ※意訳……ロリコンにでかいこと言って違いを見せつけたい 太一「確かにフラットなボードには瑞々しいものがある。認めよう。がそれだけでは全ては語れない。多かれ少なかれ、人は質量・形状問題に直面することになる。 人生経験上の失敗からか、はたまた幼児体験か……それを恐れるあまりいっそ無に回帰することを望む流れというのは、私には逃避にしか見えないのだよ」 ※意訳……確かにつるぺ(略) 太一「形而下的価値観によれば、あらゆる『有』はいくつかのモデルに分類できる。 『椀型』『ロケット型』などを筆頭に『釣り鐘型』『下垂れ型』『皿型』なども多い。微にいり細を穿つ観点で『先端陥没型』といった例も報告されて……」 ふと遊紗ちゃんを見ると、メモっていた。 太一「うわあああああっ、だめ、ダメェ〜っ!!??」 遊紗「え、どうしましたですっ?」 太一「記録してはいけないのっ」 遊紗「あ、あんまり難しかったので、あとで調べようと思ったですが……?」 なんですとぅ!? 今のデンジャラスワードをインターネットなどでリサーチされたりしたら!! 太一「危ない! 伏せろ!」 抱き寄せて、電柱の陰に隠れる。 遊紗「はらーっ!?」 太一「静かにしろここは戦場だ」 遊紗「平和な日本の街並みにしか見えないここが、戦場っ!?」 太一「うむ。今、ソルジャー兵士の殺気を感じた」 遊紗「そるじゃー兵士!?」 太一「CIAかKGB、あるいはN○Kという可能性もある」 太一「どれも極めて武力的な諜報機関だ」 太一「特に最後のグループは、極めて凶悪で、民家を急襲して現金を強奪していくというゲリラ的凶行に及ぶことで知られている」 遊紗「ひぇぇぇ」 太一「……行ったか。よし、もういいだろう」 道に戻る。 たまたま通りかかった帰宅中のサラリーマンが、怪訝な顔でこちらを見ていた。 どこからかナイターの中継なども聞こえてきたりして、牧歌的な夜道であった。 太一「すまないね。そんなわけで、君に話した内容は機密情報なんだ。記録すると君の清純ボディが危ない」 遊紗「な、なんと」 太一「すまないが、該当する部分を削除してはもらえまいか?」 遊紗「は、はい、消します、ごめんなさいっ」 シャーペンの背についてる消しゴムで、こすこすと紙面にリセットをかける。 ああ、汚れのないその消しゴム、使わずにとっておいたのだろうに……。 太一「申し訳ない」 遊紗「いいんです。わたしが悪いんです」 胸が痛かった。 というか、俺が痛かった。 CROSS†CHANNEL 学校の屋上。 トンテンカンテン トンテンカンテン 今朝も屋上では、精力的な部活動が行われている。 太一「こらあーーーっ!!」 見里「は、はいっ!?」 一喝すると脚立の上から先輩が ぼてり と落ちた。 見里「あたたたた」 太一「雉も鳴かずば撃たれまいに」 見里「な、鳴いてないじゃないですか」 太一「ヘイ、ミス怪我人。ホワイワズイットナウ?」 意味とかどうでもいいんで。感性なんで、こういうのは。 見里「うっ」 太一「しかも私めのいない時間帯に」 見里「べ、別にこそこそやっていたわけじゃ……ただどうしても気になりまして。今朝は五時に目が覚めましたし」 弁解がましく、先輩は身振り満載でそう説明した。 太一「……うらぎりものだ」 見里「ち、違いますよっ」 太一「あーあ、見里先輩ってつれないなー」 見里「ああ、ですから……」 見里「はい、わたしの負けです。ごめんなさい」 両手をあげた。 太一「午前七時五十分、現行犯逮捕」 見里「はぁい♪」 両手を前に出す。 その手首に。 かちゃん 見里「……へ?」 あ、しまった……つい。 見里「なんです、これ?」 太一「手錠……」 見里「玩具ですよね?」 太一「本物……」 静寂。 見里「ど、どどどどうして本物のブツを持っていますか?」 太一「こ、こここ交番に人いなくて手錠落ちてたから持って来ちゃったの……」 見里「なんだ……ふふ、もう、仕方ない人♪」 つん 太一「あはは、ごめんなさーい」 笑みふたつ。 見里「鍵は?」 太一「ああ、鍵ですか……うん……鍵は、どこにあるんでしょうねぇ?」 笑みが固着した。 見里「うーん」 見里「あははー」 笑った。 見里「ごめんなさい、ぺけくん。今、鍵はどこにあるんでしょうねって聞こえちゃいました」 太一「そう言いましたから」 無表情になった。 見里「今、あなたはわたしに暴行されても文句を言えない立場になりました」 太一「も、ものによってはOKデス!」 攻撃される。 太一「ひぎゃっ」 見里「どうして……きみはそう軽率なことを……」 太一「あの、つい条件反射で……」 見里「こんなの鍵がなかったら外れないですよーっ?」 太一「まあまあ。鍵を探せばいいんですよ、ね?」 見里「……その交番にあるんでしょうか」 太一「もちですよ。今日帰りに探していきますよ」 見里「今から行きなさい。ね?」 ギリギリギリ…… 太一「はひ……スグニ」 Wアイアンクロー炸裂の現状、他に答える余地もなく。 太一「でも戻ってくるまではおとなしくしててくださいよ」 見里「これじゃ着替えもできません」 太一「とりあえず、教室にいたらどうです?」 見里「そうですね……」 二人で校舎に戻る。 見里「誰にも見つからないといいんですが……」 太一「なぜです?」 見里「連行されているように見えるじゃないですか」 太一「どっちかと言うと、プレイしているように見えたりして」 見里「ぷれい?」 太一「三階でしたよね、先輩の教室」 見里「あ、そこですよ」 そこに美希がやってきた。 美希「こんちです!」 見里「っ!?」 焦って手元を隠そうとした先輩は、それに失敗した。 手首を覆っていたタオルが、はらりと落ちる。 じっとしていれば良かったのに。 美希「……」 美希「た、逮捕されてる……」 見里「違います、これは悪戯です」 美希「……」 美希「あの、先輩」 挙手をした。 太一「なんだね、山辺巡査」 美希「はっ、今日は保健室があいているようであります!」 敬礼しつつ、プレイする場所を紹介してくれた。 うう、いいヤツ……。 見里「?」 ウブな先輩は理解できない。 太一「やあ、ありがとう。君もどうだい?」 美希「は、自分はもうちょっと処女でいたいかな、と思う次第」 太一「それは残念。では」 美希「おつとめご苦労様でーす」 ぺこりと頭をさげて、僕らを見送る。 見里「今の会話、よくわかりませんでした」 太一「わかったらえらいこっちゃ」 見里「???」 太一「さて」 駅前。 とはいっても、こじんまりとしたものだ。 ゴミゴミしていないのが救い。 交番は……すぐ近くにある。 パトロール中の札がかけられていて、人は誰もいない。 鍵はすぐ見つかった。 これって窃盗になるのかしら? なるに決まっている。 しかも備品だ。 軽犯罪王・アルセーヌ太一、最後の犯罪。 太一「あった」 すぐ戻らないとな。 駅前には人通りがない。 もともと住宅街と都会とのアクセスポイントでしかない駅は、にぎわいも薄い。 アスファルトの無機的な広場が、かすかな陽炎を立ちのぼらせている。 車もまるで見られない。 だから道の真ん中を歩いた。 太一「……」 咎めだてる者はいない。 どうなんだろう。 たとえば、そういう世界。 どんな犯罪に手を染めても、誰も咎めることもなく、また咎められることもない。 無法の世界。 だけどここにいるのは自分だけなのだ。 自分だけの世界で、どんな犯罪があるだろう。 ない。 人との接点がなければ、大半の罪は霧散して意味を失う。 理想的だ。 理想の社会と言える。 個であること。群を捨てるということ。 そのために必要な能力とは何か? また、適した精神構造とは? 人間にはいろいろな欲望がある。 水を飲みたいとする欲求とはまた別の次元で、それはある。 欲望とは何だろう。 出世欲。 知識欲。 創作欲。 征服欲。 それらは他者に対して抱く、あるいは他者によってその価値が定められるもの。 欲望というものは他人の承認を得たいという、あらわれかも知れない。 人より資産を持ちたい。 人より知識を持ちたい。 人より出世したい。 前提としての他者。 多くの人が価値あると認めるものを獲得することに、欲望の根元がある。 その明確なかたちのひとつが、通貨だろう。 さしあたっての利用目的がなくとも、人はそれを欲する。 人間が欲望とともに生きる時、すでに他者の意識や価値観によって世界は染まっているのであり、またその中で人格は形成されていくのだ。 では個であったなら。 欲望はどう変質するだろう? いや、他者がいなくなった瞬間、欲望はその定義を失って欲求へと至る。 対抗馬のないレースは競走として成立せず、故に走る速度は追求されなくなる。 自分一人の世界で、なお知識層であろうとする者が何人いるだろう? 見る者のない芸術を、彼らは作り続けることができるのか? 誰を征服するというのか? そう。 一人になれば、人は変質する。 せざるを得ない。 突き上げるような負の感情も、マイナスではなくなる。 罪も罪でない世界なら。 この『目』は、そのためにあったのだと、天啓のように思った。 振り返る。 太一「……いつまであとをつけてくるつもり?」 人気のない広場に、声はよく通る。 太一「用事があるんじゃないのかな?」 待つ。 しかし返答はない。 太一「どうかしてる」 吐き捨てて、学校方面に歩き出す。 いちいち構っていられない。 気配はひたひたと追尾してきた。 心配してくれるのはありがたい。 が、しかし。 太一「俺は髪の毛が白いから、日射病になんてならないのっ!!」 母親に対する苛立ちって、こういうものなのかも知れない。 新鮮ではあったけど、煩わしさがまさった。 学校のそばまで来て、俺はほっと息を落とした。 気配が消えてくれたからだ。 太一「……あーもー、イライラした」 しかし毎度のことながら、鳥肌が立つ。 あの存在密度には。 太一「魔物ですか」 近いかも。 そんなものに愛でられるのも大変だ。 がるるるるるるるる 腹の虫だ。 野獣のようだ。 腹の獣とでも言おうか。 太一「食べ物のにおいがする……」 ふらふらと、足は学食に向いた。 太一「おー、すいとる」 警備員の数が少ない。 いつもは十人くらい立ってるのに、今日は二人だ。 暑くなってきて、みんな精神的にも参ってきてるせいか欠席が多い。 だから学食も、どことなく閑散としていた。 おかげで競争率高めのメニューにも楽にありつける。 いや……とあるコネを使えば、簡単にありつけるのだが。 けどアレは使ってはいけない。 禁断の奥義なのだ。 諸刃の剣だし。 あーでも、遊紗ちゃんかわいいからなぁ。 B定食の食券を買い、カウンターに持っていく。 声「あらアンタ! こんなトコで何してんのよ!」(98ホーン) 太一「どわあああっ!?」 出た! 声「ご挨拶ね、ぐふふ」 そう言って彼女は、ありふれたファンタジー物に出てくる洞窟奥で酒盛りに興じる異様に巨大な盗賊団のボス(時に入り口より巨躯なケースさえ散見される。ギャグか?)みたいなくぐもった声で笑った。 恐かった。 太一「驚かさないでよ、おばちゃん。このひ弱な文士をさ」 おばちゃん「アンタが文士ってタマかい。馬鹿も休み休み言いな!」(118ホーン) ドカン、と怒声が学食に響く。 強化ガラスがビリビリと震えた(ありえない)。 めっちゃ注目を浴びる俺。 太一「……声が大きいよ、おばちゃん」 おばちゃん「普通に話してるんだけどねぇ。ここの子たちヤワだから!」(94ホーン) おばちゃん「あんたも手加減してやんなよ!」(115ホーン) 太一「!?」 危険を察知して、一歩下がる。 巨大な、異形と称していいてのひらが、ゴウッと眼前を横切った。 太一(今の)(スキンシップ?)(直撃していたら……)(死!?) ついつい筒井○隆の七瀬シリーズで使われたみたいな心理表現方法を用いてしまう。 なんつうか七瀬繋がりってあると思うし(ねぇよ)。 おばちゃん「やっぱりはしっこいね、アンタは! ぐふふ」 おばちゃん「メシかっくらいにきたんだろ?」 太一「は、はひ」 ライオンに餌をやるような気持ちで、食券を差し出す。 おばちゃん「遊紗が世話になってるから、サービスしてやるよ」 太一「ははは、どぉも、ははは」 そう。 この方こそ、究極美少女・遊紗ちゃんの実母であらせられる。 つまり彼女も数十年後にはこうな——— ママン「どうしたい? ふらついて」 太一「ソーリー、めまいが」 ママン「そりゃいけないね。血肉が足りないんだよ」 母上様は決めつけた。 ママン「はいよ、S定食」 太一「Sなんてあったんですか」 ママン「アンタのために作ったのさ!」(118ホーン) 学食中に響き渡る、でかい声で言われた。 ヒソヒソ…… ヒソヒソされる。 太一「……ありがたいのですが母上様……」 ママン「あら母上様だなんて嬉しいねぇ!」 ご飯が倍に盛られた。 ママン「ね、あんた、娘とはどうなのよ?」 太一「は、どうと申されますと?」 ママン「うまく手なずけたみたいじゃないか!」 太一「げふんげふん!」 ママン「婿か。いいねぇ。ぐふふ」 太一「ムコっ!?」 マスヲっ!? 太一「あいや、お待ち下され母上様!」 ママン「大丈夫さ、心配はいらないよ!」 トンカツが二枚になった。 これは……賄賂! Y炉ですか? ヒソヒソ…… 太一「あわわわわ」 噂されてる! 俺、今すっごく噂されちゃってる! ママン「アンタもいろいろあるんだろうから、難しいこと考えなくてもいいんだよ」 ママン「全部アタシに任しときな」 具は薄いワカメしかないはずのみそ汁に、なぜかカニが丸ごとぶち込まれていた。 ヒソヒソヒソヒソ…… 声「……収賄……」 声「天下りで……」 声「……インサイダー取引が」 声「何か非合法の……」 声「……参拝問題の当事者……」 太一「うぐぅ!」 まずい。 黒須太一の沽券に関わる問題。 トンカツは四枚になっていた。 太一「多すぎっス!」 ママン「ん? なんだい、これくらい食べられるだろうよ、男の子なんだから!」 沖縄のサンゴを貪り食うオニヒトデみたいな手で、ばちーんと肩を叩いてきた。 自重の倍ほどの重みが、俺を床に押しつけた。 太一「ぐわああああ!」 膝をつく。 ママン「あら失敬! ゲハハ! やっぱり食べなきゃ。そんでもっと太らなきゃ!」 太一「ううう」 遊紗ちゃん……はやく家を出ないと、太らされてしまうよ。 常人の五倍以上の食料を抱えながら、適当な場所に座る。 友貴「相変わらず、強力なコネクションだなぁ」 Cランチのトレイを抱えた友貴が、隣に座る。 太一「友貴先生か」 友貴「あやかりたいもんだ」 太一「あやかってくれ」 友貴「いいの?」 太一「こんなに食えない」 友貴「じゃ遠慮なく」 トンカツを持っていった。 友貴「さっきまで桜庭とパン食ってたんだけど、足りなくてさ」 太一「元運動部だもんな」 友貴「筋トレとかもうやってないんだけどなぁ」 太一「筋肉はあるだけで脂肪を消費してくんだよ。だから筋肉つけてるヤツは燃費が悪いんだ」 友貴「へえ。じゃ筋肉ない方がいいわけ?」 太一「んなバカな。余分な脂肪がつかない体質になるから、適度に筋トレはしといた方がいい」 友貴「なるほど」 太一「桜庭はまたカレーパン?」 友貴「七個くらい食ってた」 太一「うげ」 友貴「ここの学食業者のがマイフェイバリッド・カレーパンだとか言ってさ」 太一「アホ舌だ」 友貴「アホ舌だな」 食う。 太一「くそっ、食っても食っても減らん!」 友貴「……もらっとこうか?」 太一「もらってくれ」 友貴「おい、みそ汁にカニが入ってる!」 太一「……入ってるんだ」 友貴「どういうコネだよ……」 太一「世界最強のサブミッション、マスヲホールド(婿固め)だ」 友貴「例のおばちゃんの娘ってやつ?」 太一「んだ」 友貴「やっぱ、母親似なのかな」 太一「いや、すっげー可愛い眼鏡っ子。俺になついてんの。言うこと全部信じるし、たまらん」 友貴「なんだ、無問題だ」 太一「いや……」 太一「スイス銀行に口座を持っちゃうようなアグレッシブな固ゆでジョブに就くだろう俺は、カタギのクーニャンとニャンニャンしちゃうわけにはいかんのだ」 友貴「寝言が聞こえる」 友貴「あ、太一さ、適応係数試験どうだった?」 太一「どーもこーも」 セルフサービスの麦茶をコップについでがぶがぶ飲む。 太一「激高。あかんです。担任もコイツやばすぎって感じで白い目してたし」 友貴「いくつよ?」 太一「……84%」 友貴「うわ、それ偏差値だったらなぁ」 太一「そーなのよ。まっずいよなぁ。俺、やばいことになっちゃうかも」 友貴「研究棟で解剖されるかもね」 太一「お慈悲」 すがりつく。 友貴「無理だ……17%の俺とは住む世界が違う」 太一「ってオイ! どうしてそんな常人と同じ数値やねん!」 友貴「……だって、俺外障だし」 太一「あ、そうか……」 太一「あまりにもバカなんで対等と思ってた」 友貴「おまえが言うな」 太一「あー、ラバ(桜庭の蔑称)も低いんだろうな」 友貴「あいつ15だったかな」 太一「あいつ、心障だろ? どうしてその数値で群青なんだろ?」 友貴「いや、あいつ願書に群青って書いたらしいよ」 俺たちは顔を見合わせた。 二人「はあああっ!?」 太一「……わけわかんね」 友貴「……同感」 太一「国の調査って結構いい加減なんだよな」 太一「あ、そういやおまえ、とっととお姉さんと仲直りしれ」 太一「やりにくくってしょうがない」 友貴「それはお姉ち……姉貴が裏切るから……」 コイツ今『お姉ちゃん』とか言いかけなかったか? ……まあいい。 太一「宮澄先輩が?」 友貴とみみ先輩は姉弟である。 苗字は違うが。 友貴「放送部に入ったのだってさ、無理矢理なんだ。帰宅部しようと思ってたのに、あなたパソコン少年でしょだったら手伝ってとか言ってさ」 友貴「パソコン少年だから手伝えという論法だ。どうか?」 太一「まいっちんぐ」 太一「いいじゃん。どうせ帰宅部みたいなもんだ」 友貴「まあな……どっちにしろバスケ部ないしなー、ここ」 太一「っつーか走れないんだろうに」 友貴「まー」 太一「あきらめれ。うるさい上級生とかいないから、気楽なもんだ」 友貴「帰宅部になったら、好きなだけ漫画読めると思ったのになぁ」 友貴「なんでいまさら姉貴と仲良く部活動しなきゃなんないのよ」 太一「……シスコンがそらぞらしい」 友貴「何か言ったか?」 太一「いーえー」 というわけで、部活中だったりする。 この部品はどうするのだろう? ここか? それともここか? 太一「……」 ここにしておくか。それっぽい感じするし。 見里「わかりますかー?」 太一「まー、なんとか」 下では先輩が脚立を支えてくれている。 見里「男の子がいると頼もしいですねー」 太一「そうでしょうとも」 太一「ご用命の際はいつでもこの私メを……」 つうか。 この人、弟いるじゃないか。 太一「……あの、友貴と喧嘩してますよね?」 先輩の顔が、さっと曇る。 見里「あー、まあ……」 見里「ちょっと冷戦に」 太一「友貴もケンカなんてするんだなぁ」 見里「え?」 太一「あいつ、本気で怒ることなんて滅多にないから」 先輩はその言葉に、ショックを受けたようだった。 見里「……当然、なのかもしれないですね」 太一「はい?」 見里「人生は難しいですこんちくしょうという感じです」 わけがわからない。 友貴『……裏切られるぞ』 太一「あの、裏切りとか、なんです?」 眉根が寄った。 見里「友貴が、そう言ってたんですか?」 太一「はあ」 見里「……」 太一「先輩?」 見里「……うーんうーん」 先輩は泣きそうな顔で、うーんうーん唸りだした。 太一「アノウ?」 見里「なんといいますかーもー!」 がくがくと脚立を揺する。 太一「わわわっ!?」 見里「ままならねーですーっ!!」 太一「落ちそーですっ!!」 散々な部活だった。 帰り道 七香「やっほー、たいっちゃーん!」 太一「あれ?」 謎の自転車女だ。 太一「謎の自転車女だ」 思ったまま口にしてしまった。 七香「思ったまま口にしないように」 ばれていた。 太一「あやしいんだよなー、この女。素性は不明だし。見たこと無い制服だし」 七香「……開き直って思考を言葉に仮託《かたく》しないように」 太一「七香って名前だって本当なのかどうか」 七香「……うっさいわね。細かいことグダグダ言うんじゃないわよ」 太一「どこの学校通ってんの?」 七香「ひみちゅ」 太一「あ、そう」 無視してさっさと歩き出す。 七香「お、ハードボイルディ〜」 太一「歩きながらでも話せるだろうに」 七香「まぁねん」 太一「して、何用?」 七香「もちろん用事があるわけさ」 びっしりと指さして。 七香「とっととアンテナ組み立てる!」 太一「はあ?」 太一「アンテナって、見里先輩のやってるやつ?」 七香「そう、それ」 七香「このままじゃちょっと間に合わないよ」 太一「何に」 七香「期限に」 太一「何の」 七香「アンタねー!」 太一「な、なんだなんだっ」 いきなり怒りだしたぞ。 七香「一回一回が、大事な人生でしょうが! 調子こいてるといつまでもいつまでも無駄にしちゃって、そのうち存在自体が固定行動に固着しちゃうんだからね!」 七香「可能性ってのはそーいう性質があるんだから! ウィン○ウズだって一時キャッシュのせいでリセットしたつもりでもエラーを繰り返すことがあるでしょーに! ことに今は———」 ハッとして、口をつぐむ。 太一「……ノイローゼですか、貴様?」 七香「こんなキューティーつかまえて貴様なんて言うなあ!」 びたーん! 太一「うぉふうっ」 ビンタされた。 高速でスピンしつつ斜めに跳ね上がり、水平になった状態で地面に叩きつけられた。 太一「……お……おふ……おぶ……」 この娘、コミック力場を発生させることができるとは。 ※コミック力場=太一科学。スカラー電磁学やエーテル宇宙論、昇騰機関などと並ぶ超科学理論のひとつ。あらゆる物理現象を加速すると同時に緩和する。 結果、通常物理では考えられないコミック本めいた効果を発生させる。統計的に勝ち気幼なじみ的パーソナリティに多く付随し、そのキャラ性を維持するために作用する。 七香「あっ……ごめん……」 太一「すごい力だ……天下狙える……」 七香「女の子にそんな皮肉言わないの!」 助け起こしてもらう。 太一「い、いたひです……」 七香「……ごめんね」 太一「天下狙えるってのは、単に腕力とかでなくキャラ的にね」 七香「?」 太一「キミの科学力のおかげで、あれだけの打撃を受けても生きていられるのだよ」 七香「よくわからない……」 太一「でももうちょっとはじけても良かった。スピンしたまま大気圏とか。まあ普通から外れるためにただ極端に走るだけっていうのも貧困のあらわれだと思うから、メリハリだと思うんだけどさ。 要するに王道に対して常に皮相的な立場を保つって行為は自己顕示欲に支配された瞬間に堕するってことだよね」 七香「おまいはあたしと会話する気があるのか?」 太一「……すいません」 自分でも意味わかってないです。 七香「しょうがないヤツ」 呆れ半分、ため息を落とす。 七香「あ、ほっぺたに血」 太一「え? ちょっとだけ力場からはみ出ちゃったのかな?」 七香「まだ力場とか言うか」 太一「自分の血は平気」 七香「……え?」 太一「いや、血が苦手なものでして」 その時、七香の顔に去来した表情を、俺はうまく表現できない。 泣きそうでもあったし、笑っているようでもあった。 とはいえ、単純な泣き笑いとも取れない、根深い葛藤が混入していた。 七香「……太一」 掠れるような声が、唇から流れて。 顔が寄ってきた。 潤んだ瞳とともに。 人間の意識活動というものはたいしたもので。 普通の漫画主人公なら、 (え……?) などと起こる出来事さえ予測できず、戸惑うのがせいぜいなのに。 現実人間であるところの俺の脳は『KISSされる!?』というシチュ的にそれしかありえない結末を容易に予測してのけて。 七香の顔が五センチに迫った時にはもう、キス後に『いかにそれっぽく振る舞うか』といった体面処理について検討していたりするわけだが。 ……実際こっちのがリアルなのだが、世の物語にほとんど採用されていない理由は、リアルすぎて物語性とうまく親和しないんだということが素人の俺にもありありとわかった。 リアリティごっこなんだよな、結局。 と内心うんうん頷いてたりして。 といいますか、KISSまだ? れろーん 太一「……」 色気も味気もないKISSだった。 舌を頬に貼りつけて舐めあげる行為を、KISSと称すればのことだが。 七香「ツバでもつけておけば治るでしょ」 太一「うわあああああ」 拳で側頭部を打つ、打つ、打つ!! 太一「知った風な思索の結末が早とちりか! こいつめ、こいつめ! この恥さらしが!」 七香「自分で自分をっ!?」 太一「なにがリアリティか! なにが親和か! 頭良いつもりか俺様野郎が! 人以下であることを国際的に証明されている分際で!」 七香「お、おちつけー……」 太一「死にたい」 七香「こらこら」 太一「いわゆるひとつの自分がゴミであることを自覚していなければならないのです」 七香「……へ?」 太一「有害なゴミ」 太一「群青には無識者もたくさんいるから」 太一「俺はいつもこわかったんだ。傷つけてしまわないかって」 太一「危険があっても回避できないのが、無識ってことだからね」 太一「猫が車の前に飛び出すみたいに」 太一「……自制しないといけない。細心の注意でもって」 太一「けど」 太一「毎日楽しくて、つい忘れてしまうんだ。自分が何者かってことを」 太一「俺は———」 七香が身じろぎした。 今度は本当に虚を突かれて、予測する間もなかった。 太一「え……?」 七香「楽しいって、言えるなら、いいじゃん」 あいまいな胸の柔らかさ。 少女の香り。 不思議と、猥雑なものは感じない。 抱かれた時の感覚が、曜子さんとは違った。 七香「その言葉は、嬉しいんだ。すごく」 太一「…………」 七香「強くならないと生きる資格がないわけじゃないから」 七香「弱いままでも、いいんだよ」 太一「弱いままでもって……」 知っている。 彼女は何かを知っている? 太一「キミは」 七香「七香」 太一「ななか……」 知らない。 過去のいかなる軸にも、その名前は記録されていない。 じゃあどうして彼女は俺のことを? 七香「落ち着いた?」 太一「……うん」 身を離す。 七香はにこにこと笑っている。 太一「……君って」 太一「俺のこと好きなの?」 七香「ばかめ」 ぺてぃっ 額にチョップされる。 七香「そんなんじゃないって」 否定してから、小首を傾げて言葉の穂を継いだ。 七香「……けど、そーだな。好きかもね」 太一「ほんと?」 七香「あんたの思う好きとは、ちょっと意味が違うけどね」 太一「なんのこっちゃ」 七香「あんたってさ、きっと子供の頃、母親にHな悪戯するタイプだよ」 太一「いねーですもん」 七香「あたしもだ」 七香「でもさ、そーいうのって、けっこう母親も嬉しいのかもよ?」 太一「Hな悪戯がか?」 七香「そう」 太一「でも幼い息子にペッティングされたらショック……いや、むしろ萌えか?」 七香「化学分解されてしまえこの有害ゴミめが」 太一「うわーん!」 七香「さて、帰るか」 太一「うちに寄ってけばいいのに。ぬるい水くらい出すぞ」 七香「ニヒヒ、Hなことされたくないから帰る」 太一「するする、来たらするさ」 七香「危ない危ない」 彼女はさっそうと自転車にまたがる。 背後にまわって下着を見ようとする俺。 ノーコンのブルマだった。 太一「ちっ」 ……って、ブルマだって? 女性解放運動も真っ青なセクハラ体操着としてずいぶん前に絶滅したという、ブルマ!? 太一「な、ななかさん……?」 俺はわなわなと震えた。 噂によれば、そのヒップへの張りつき具合は絶品だと言う。 七香「アンテナ、ちゃっちゃっと組み立てちゃいなさいよね」 太一「は、アンテナ?」 唐突。 七香「それって、可能性だからさ」 チェーンが小気味よい音をたてて、まわる。 タイヤがアスファルトを擦り、自転車が走り出す。 太一「……なんなんだ」 夜の自室。 原稿を書いている。 太一「ひっひっひ」 太一「ひっひっひっひっひ!」 太一「ひーっひっひっひっひっひ!!(泣いている)」 まとまらないよー! 初日、自分の才能にうっとりしながら書いていた頃とはテンションが正反対だ。 女「……けーくーんー……」 誰かが呼んでる。 窓から外をのぞく。 太一「みみ先輩?」 見里「こんばんはー」 太一「どうしたんですかー?」 見里「どこにいるのですー?」 太一「二階の窓からそっち見てますー」 見里「暗くて見えませーん」 太一「こっちはよく見えますよー」 見里「どうしてなんでしょうねー」 太一「さー?」 見里「ぺけくんはすごく夜目がきくんですねー」 太一「野生どーぶつなんで感覚鋭いんですよー」 見里「なんかかっこいいですー」 話しながらばたばたと腕を振っている。 あれでけっこう幼いのだ。 太一「それより、あがってくださいー」 見里「はーいー」 見里「あ、蝋燭♪」 太一「執筆活動には雰囲気が大切なんですよ、おぜうさん」 見里「なるほどー」 ちょこんと正座。 見里「お勉強でもしてたんですか?」 太一「いや、原稿です」 見里「ああ」 太一「して、当家にはどのような御用向きで?」 見里「あ、よく手伝ってくれてますから、ご飯をオゴろうかと思いまして」 包みを掲げた。 見里「お弁当です」 太一「先輩万歳」 見里「二人分作ってきたんです、一緒にどうですか?」 太一「飲み物持ってきます」 太一「うまい」 太一「先輩は器用だなあ」 見里「そうですか? 料理は最近はじめたばかりなんですけど……」 太一「まー、俺もグルメじゃないんで」 見里「あ、その言い方はひどいかもです……」 太一「あー、うまいですよ。うん、うまい」 太一「火の通り方がいいですね。直火ですか?」 見里「はい。もちろん」 太一「……なんか、こういう弁当食べるの、久しぶり」 見里「そうなんですか?」 太一「俺……母親、いないですから」 見里「まあ……」 太一「母親が恋しいのかもしれませんね、俺」 見里「ぺけくん」 太一「先輩」 薄闇の中、見つめ合う。 蝋燭のあえかな炎が、彼女の頬を淡い朱色に照らした。  ・迫る  ・ボケる よーし、任せとけ! 太一「先輩」 見里「……なぁに?」 太一「俺と結婚してくださいよ!」 親指を立てて告った。 見里「うふ」 先輩はまるで天使のように柔らかく微笑んだ。 *・゜゜・天使†光臨。・゜゜・* 見里「絶対いやです♪」 太一「もしもし友貴? 黒須だけど。うん、今おまえのねーちゃんに告って振られたトコ。マジマジ、ライブ。だってまだ隣にいるもん。ブヒャヒャヒャヒャ!」 「とにかくさとにかくさ、俺の胸中、苦い喜びで満ちみちてNOW。おまえに後押しされて気持ち伝えてみてサイコー良かった!! 死にくされや!!」 見里「その携帯……電池切れてませんか?」 太一「わかってますよそんなこと!」 泣き伏す。 太一「うおーん!」 見里「彼に当たらずとも……」 太一「冗談のつもりって自覚していながらもしかしたらいい感じになるかなって都合の良い期待はそりゃもう明確にありましたからキッパリ断られるとそれはそれで胸が痛いんですジャア!」 見里「絶対拒絶されるタイミングで告る方に問題があるんジャア……」 太一「人生、一寸先は闇なんジャア! 今を信じるしかないんジャア!」 見里「ほら、キュウリの酢漬けあげますから、元気を出して。そしてレスラー口調はもうよしましょう。ね?」 太一「お、俺の愛はキュウリで賄えてしまうとですか……」 見里「ぺけくんにはもっと素敵な想い人ができますよ、きっと」 太一「泣きそう」 キュウリは失恋の味がした。 太一「あ、そうだ」 太一「先輩、ちょっとここで待っててくださいよ」 見里「はい?」 行って。 戻ってくる。 両手に持ったそれを掲げる。 太一「手作りアイスバー!」 見里「あっ、すごいです!」 一本を渡す。 見里「人類の底力って感じですね」 太一「フフフ、僭越にも言いかえますならば、この黒須太一個人の、です」 見里「つめたーい、おいしーい♪」 太一「人類バンザーイ」 見里「ばんざーい」 アイスバー大騒ぎ。 見里「これは材料はなんなんです?」 太一「レモンと砂糖と卵白と」 太一「……僕の可愛い二億匹の小さなワンダフルライフたち」 先輩は停止した。 なぜか眼鏡がさっと曇る。 見里「…………」 やばい雰囲気だった。 太一「あの、さすがに冗談です」 見里「……そっちのと交換してください」 太一「あ、はい」 見里「あんまりつまらないこと言うようならおしおきしなくちゃいけなくなりますね」 抑揚をまったくつけずにそう言う。 すごくこわい。 太一「い、以後気をつけるでありますっ」 見里「……まったく」 眼鏡の曇りがさっと晴れた。 任意? どういう仕組みなんだろう? こわかった。 しかし、リスクに見合った成果はある。 間接KISS! しかもアイスバーだからねっとりディープ間接キス。 じっくりたっぷり、堪能してやったわ。 見里「なにやらお礼に来て、逆にいいものをごちそうになっちゃいました」 太一「ふ、いやなに。そう簡単に惚れないでくださいよ」 見里「ごちそうさまでした、ぺけくん。惚れません」 脈無しだ。 見里「おかげで涼しくなりました」 太一「毎日、暑いですからねぇ」 見里「暑いですねぇ」 太一「夏だからしょうがないとはいえ」 見里「……海、行きたいですね」 先輩は窓の外を見た。 その先にあるはずの、海は暗くて見えない。 太一「じゃあ行きましょう」 見里「え?」 太一「明日の昼に学校の前に集合」 見里「えは?」 太一「みんなも呼びますよ、もちろん」 見里「き、今日の明日なんですけど……」 太一「なんとかなるっしょ!」 親指を立てた。 見里「でも……霧さんとか、支倉さんとか、来てくれますか?」 太一「んー、そいつは工夫次第で」 太一「凡俗どもを動かすのに誠意はいらんのです。弱みを突いていけばいいのです。わはは」 見里「……爽やかな顔してそーいうひどいことを言わないで欲しいです」 見里「あ、でも去年の水着、もう入らないかも」 太一「え゛?」 見里「ふ、太ったんじゃないですからねっ」 太一「ええ、つまりご成長なされた、ということですね?」 見里「そうです」 見里「本当にそうですよ?」 太一「いや、そこは別に疑ってませんから」 まだ胸は大きくなっていってるんだなあ〜。 先輩のバストに思いを馳せてポワる。 見里「……っ」 なんとなく邪気を感じたのか、胸のあたりを両腕で隠す。 見里「そーいうわけで水着が……」 太一「どれにします?」 見里「持ってるーーーーっ!?」 太一「スタンダードに紐ビキニかなあ」 見里「どうして持ってるのーーーーーーーーっ!?」 太一「サイズは86のCカップだから、このあたりか」 見里「ひきっ!?」 太一「この紐と貝の破廉恥オーシャンパラダイスなんてどうです?」 見里「そんなのいやですっ!!」 太一「じゃあコレだ! パールホワイト悩殺ビキニ」 見里「コレ、濡れる前から透けてるんですけど……」 太一「変わり種だとロープレスワッペン水着ってのが」 見里「ただの前ばりと絆創膏じゃないですかっ!! アホですかっ!!」 太一「おもいきってこんなのどうです? 胸のトコが透明ビニールになっててトップレスを演出しちゃうという……」 見里「お、犯されるっ」 先輩は顔を覆った。 太一「あと女性用ふんどしとか」 見里「どーしてそんなのしかないんですかっ!!」 太一「イチオシはこれ。人の知性が試される、馬鹿には見えない水着、裸の女王サマー」 見里「全裸ってことじゃないですか!」 見里「却下です! 却下却下却下却下ーーーーっ!!」 CROSS†CHANNEL 太一「来ました。海でーす」 太一「そして、今日というサマーデイを楽しもうとするリビドー溢れる頼もしいメンツはこいつらだ!」 ずらりと一同が並ぶ。 見里「……」 友貴「……」 美希「……」 霧「……」 冬子「……」 太一「えー、さて」 一同の前を軍曹気取りで練り歩く。 太一「そろいもそろってこれから葬式でもはじめようってツラだなオイ?」 冬子「あんたが人のこと騙すからでしょ!!」 太一「んあー、記憶にないな」 耳クソをほじる。 冬子「あ〜ん〜た〜は〜」 太一「どうしてカリカリ来てるんだ」 太一「生理か?」 びんたっ! 太一「ごふっ」 行為の名称に等しいオノマトペを発しつつ、的確な一撃が顎を強打した。 老カラデ家「人間の肉体は大半が水分で構成されている。いってみりゃァ、水風船よ」 老カラデ家「その柔軟かつ強靱な平手によって叩きあげられる斜め下からの一撃。こいつァ頭蓋内の体液と同調し、通常の拳打を上回る振動を脳に与える!」 太一「誰?」 ……………………。 冬子「帰る!」 太一「まーまー」 ぎにゅう 冬子「きあああっ!? どこつかんでんのよっ!?」 太一「水着のお尻のとこの布」 太一「この水着、すごい伸びる素材だね」 冬子「ド痴漢!」 太一「おうおうおうおうおう」 砂浜に沈む俺。 太一「……うう……」 冬子「し、信じられないこのエロ猿っ、バカじゃないのっバカじゃないのっ」 よれた尻の部分を直しながら、ブツブツと冬子。 尻の割れ目をバッチリ拝見してしまった。 見里「……胃が」 対人関係のトラブルに弱い先輩は、はやくもグロッキーだった。 太一「今日はこれからー、群青学院放送部の海水浴をー、はじめるー」 太一「いいかー、よく聞けよー。二度たぁー言わねぇー。貴様らはカスだ! このステーツで最高に口の臭いブタ野郎どもだ!」 太一「貴様らのような最低最悪の生ゴミのために、国が払っている維持費は決して安かねぇ。そいつは投資だ、だがそう見返りのある賭けじゃねぇ———」 見里「新兵ですかわたしら」 友貴「ナンバーテンだ」 霧「…………不覚……」 ややうんざりとした調子で、霧が頭を垂れた。 美希「ごめんねー、騙して。せんぱいにどうしてもって頼まれたからー」 霧「……今日は……本当だったら家族とお寿司食べにいく予定だったのに……」 美希「ほら、先輩に恩売っておけば、いろいろ便利でしょ?」 霧「イクラ、ウニ、中トロ、時価……」 軍隊演説を無視して、霧は重いため息を足下に落とした。 見里「で、桐原さんはどのような経路で?」 冬子「支倉先輩が今後のことで大切な話があるからって」 冬子「まさかあの大物が黒須に加担していたとは……」 鉄拳が震えていた。 見里「支倉さんって……黒須君とどういうご関係なんでしょうねぇ?」 太一「ん、曜子ちゃん?」 冬子「曜子ちゃん!?」 見里「曜子ちゃんっ!?」 美希「曜子ちゃんっっっ?」 友貴「曜子ちゃん!!」 太一「ハモハモ四重奏。じょん♪」 タクトを振るった。 冬子「ど、どーしてあんなすごい人があんたごときゴミ蔵にちゃん呼ばわりされてんのよ!」 太一「言葉にオブラートかけないのも限度ってものがあるだろう」 美希「せんぱいせんぱい、疑問質問」 太一「はい、ミキミキ」 美希「ミキミキです。あのう、もしかして支倉先輩と黒須先輩はおつきあいされてますか?」 冬子「ダメ! そんなの絶対ダメ!」 見里「ひええ〜、美女と野獣〜!」 友貴「……おそろしい……世の中どうかしてる……」 友貴「黒須みたいな○○○に彼女が! しかも支倉先輩みたいな極めつけのクールビューティーだなんて!」 太一「……おまえ伏せてれば何口走ってもいいとか思ってないか?」 美希「で、どうなんすか?」 太一「……別につきあってはないよ」 太一「曜子ちゃんはー、ただの肉奴隷♪」 小悪魔笑い。 見里「ふぅ……」 美希「ぐぐぐ軍曹殿ーっ、宮澄先輩が卒倒されましたーっ!」 友貴「嘘だー! 嘘だと言ってよエホバーっ!」 霧「……あの島先輩……嘘だと思われますから、そんな海に向かって全能神に祈らなくとも……」 冬子「あ、あの凛々しいはせくら先輩が……こんな、こんな……エロスに汚されてるなんて……いたい……頭が痛い……」 破壊力抜群だなオイ。 太一「オイッチニッ、サンシッ!」 なんか気分いー。 人がゴミのように些細なことで右往左往するのは、萌える。 太一「ニーニッ! サンシッ!」 冬子「っさいっ! 踊るのやめなさいよ!」 霧「……因果、なのかな。これって」 見里「ぶくぶく」 美希「ぐぐぐ軍曹閣下ーっ! 宮澄先輩が泡をーっ! 泡をーっ!!」 友貴「跪け! 命乞いをしろ! 小僧から石を取り戻せ!」(錯乱中) 美希「あ、アレだ……」 太一「その大砲で私と撃ちあうつもりかね?」 冬子「あんたもなに言ってるのよ……」 太一「水着、ギャル、砂浜と来たらもうビーチバレー。これ、コンボイ」 友貴「小僧から石を取り戻せーっ!」 太一「こいつもしつこいな……」 美希「ビーチバレーで胸揺れですか?」 太一「そう! やっぱさー、ビーチバレーの本懐といったらもうそれっきゃないって感じで、俺なんかわざと胸を酷使する位置にパスする気まんまんでもー———」 美希「……皆さん、そういう意図らしいので、お気をつけて」 太一「安心したまえ、美希嬢」 頭を撫でる。 美希「んく?」 嫌がらないから美希は好きだ。 来期下級生イチオシの萌えっ娘である。 太一「君もあと三年すれば、たゆんたゆんさ」 美希「……うはぁ……ま、まじですかぁ」 照れる。 美希「そうなるといいんですけど」 太一「俺にはわかる。君は発育する!」 美希「あ、ありがとうございまする〜」 太一「桐原はもうじき成長打ち止め年齢だからつるぺたのまま」 冬子「あーんーたーねー」 見里「ん……騒がしいです……」 あ、復活。 横座りに片手をつくと、しなった体にふくよかな乳房がやわっこそうに揺れた。 太一「先輩って、美乳ですよね」 見里「え゛?」 太一「美しい」 見里「ちょっと、黒須君……」 少女「あのー」 太一「まるで禁断の実のようだ。アダムでなくとも、たぶらかされてしまいそうですよ」 見里「お、犯されるぅ……」 しゃがみこんで自分を抱き、猛烈に震え出す。 友貴「や、やめないかキミ!」 太一「ケッ、ただの冗談じゃねぇかよ、ミスターシスコン君はちょっと姉にインモラルな感情持ちすぎなんじゃねえのか?」 美希「ヤクザですねもう」 友貴「誰がシスコンだ誰がっ」 しかし少し焦っている。 見里「カ、カラダはいやぁ〜」 少女「あのっ、失礼しますしますしますっ!!!!」 一瞬。 すべての動きが止まった。 太一「……遊紗ちん?」 遊紗「ゆ、遊紗です。おおおお忙しいところ、申し訳ないです」 謝罪するように頭を下げた。 遊紗「あ、あの、本日はお招きネキネキ……いたっ」 遊紗「…………(涙)」 舌を噛んだらしい。 冬子「あなた、どちら様?」 遊紗「は、堂島遊紗です」 冬子「誰かの知り合い?」 太一「あー、俺の」 ざわっ 太一「……今の限りなくマイナスに振り切れた空気はどういう意味だ?」 見里「黒須君の、オトモダチなんですか?」 太一「彼女です。同棲してます」 遊紗「……っ」 シーン 美希「どう」 冬子「せい?」 見里「ま、またまたー」 見里「違いますよね、お嬢さん?」 遊紗ちゃんに直接語りかける。 太一「えー、そーだよねー。一緒に暮らしてるんだもんねー?」 遊紗「……(こく)」 霧「……」 冬子「……」 見里「……ふぅっ」 美希「あ、また卒倒した」 太一「なーんちゃって♪」 冬子「……だと思ったわよ」 太一「とまあ、これくらい素直な女の子なわけです。よろしく」 美希「遊紗ちゃんと言うですか。わたし、山辺美希です」 遊紗「あ、どうもはじめまして……」 及び腰で握手する二人を見ながら、 友貴「……可憐だ」 太一「ナヌっ!」 こ、この寝取り野郎……遊紗ちゃんを……俺の遊紗ちゃんをっ? 要監視対象に決定だ。 太一「ま、よくきたね」 遊紗「おかーさんがよろしくと」 太一「はいはい」 耳打ち。 太一「曜子ちゃん、ちゃんと送ってくれた?」 遊紗「あ、はい。でも一言も喋ってくれなくて」 太一「にゃー」 遊紗「お、怒らせちゃったんですか、わたし?」 太一「いや、普通だから気にしないでよし」 太一「で、本人は?」 遊紗「さっきまで一緒にいたんですけど、いきなりいなくなって」 太一「……」 どっかにいるな。 太一「あ、いた」 あのシルエット、間違いない。 ちゃんと水着だ。もったいない……。 太一「……」 一応、一緒に海水浴に『参加』してはくれたわけだ。 太一「ま、いいか」 遊紗「?」 太一「さて、遊紗ちゃんも来てくれたところで遊ぶか」 冬子「長い前振りだったわね」 美希「チームわけしましょう」 冬子「私もやらないとダメなの?」 美希「人数が」 美希「男の先輩二人はそれぞれ別れてください」 太一「男の先輩……って、なんか忘れてないか?」 友貴「うん、そう思った」 太一「なんだっけ?」 友貴「うーん」 思い出せなかった。 美希「霧ちんはこっち。で桐原せんぱいと宮澄せんぱいはあっち」 美希「で、小柄なこっちチームに遊紗ちゃんが入ります」 よしよし。 見里先輩はあっちか。 揺らすー。揺らしちゃるー。 俺は宮澄先輩のお素敵おっぱいに思いを馳せた。 太一「ぐあっ」 美希「……あの、もうはじまってます」 太一「はよう言わぬか」 太一「いてて、くそー、誰だよ今のは」 冬子「……ふん(そっぽ)」 あいつか。 太一「汚い日本軍は宣戦布告の前に攻撃を仕掛けてトラトラトラなんだろうけどな」 ボールを手に立ち上がる。 太一「我が米軍はとうの昔にその情報をゲットしてたんだよ!」 冬子「ばーか」 太一「あ、ムカつくなー、その態度、うん、ムカつく」 太一「ムカつくからぁ……攻撃!」 アタック。 難なく友貴が返した。 ちっ、さすが元運動部。 再びやってきた玉を、今度は宮澄先輩に戻す。 見里「あ、きた……」 おたおたと右往左往する。 レシーブした玉が、桐原冬子の後頭部に当たった。 冬子「ふいっ?」 見里「ご、ごめんなさい〜」 冬子「……いえ」 太一「わはは」 冬子「るさいっ! 笑わないでよ!」 冬子のサーブ。 遊紗ちゃんの方に。 太一「いったよー」 遊紗「えっ、あっ、やっ?」 あかん、宮澄先輩と大差ないスペックだ。 運動神経の良さそうな佐倉霧に、目で合図を送る。 太一(佐倉)(遊紗ちゃん)(助けてやれ) 目線で合図が戻ってくる。 霧(どうして)(私が)(そんなことを?) 太一(そんなこと)(言わず)(運動)(得意)(だろ?) 霧(面倒) 太一(鬼)(かっ) 霧(自分の)(領分じゃ)(ない)(助けたかったら)(ご自分で) 太一(無法者)(いじわる)(ロンリーウルフ) 霧(しりません)(自分のことは)(ご自分で) というようなトークが繰り広げられた。 俺の妄想かもしれないが。 遊紗「あっ、くるっ、くるるっ?」 くるるとか言ってる。 ダメそー。 美希「わたしがっ」 美希が突っ込む。 走る(すべる)。 見事に(転ぶ)。 ずさー 美希「…………」 顔面から突っ込んだ美希の、こぶりな尻にボールは落ちた。 冬子「二点目」 太一「心に愛があったことだけは認めよう」 美希「し、しぇんぷぁい……」 顔をあげた美希の顔が赤い。 太一「血……出てる」 霧「美希っ!?」 美希「い、いたい〜、おでこいたい〜」 太一「血、血が……血が……」 砂浜になにか切れる破片がまざっていたんだ。 血。 背筋がゾワゾワ来る。 霧「やだ、割けてる!」 美希「いたい……」 遊紗「ご、ごめんなさいわたしのせいで……」 美希「それはいーけど……いたいよ〜」 太一「お茶、オチャー!」 カンのお茶を霧に渡す。 霧「なにやってんですか!」 太一「だからオチャー!」 血を見ないよう、お茶を差しだす。 美希「ずきずきするー!」 霧「えと、どうすんの、こんなとき……あれ?」 霧「わかんないよ……どうしたらいいのかわかんないんだけど……」 霧がほつれだした。 太一「だからオチャー!!」 俺もほつれていて、適切な言葉が出ない。 美希「いたたたた……うひゃー、ちがでてるー……どーしよー」 見里「大丈夫ですか!」 冬子「医者を呼んでくるから!」 走り去る。 太一「オチャーーーーーーーーッ!!」 遊紗「ごめんなさい、ごめんなさい」 美希「血がだくだくー! 頭ずきずきー!」 友貴「ぼ、僕にできることは? ねえ、僕にできること?」 こいつはこいつで健常なくせに! 何人かが泣きだして、何人かがおろおろとして。 俺も血を見たくなくてグダグダで。 目を閉じた。 「…………」 誰かが、俺の手からカンを取った。 プルタブのあく音。 美希の額に注がれる音。 美希「ふにゃ?」 太一「あ、そう、そうなんだ」 友貴「お、お茶なんてかけてどうするの?」 太一「……緑茶に含まれるカテキンに殺菌効果があるんだよ〜」 太一「俺の鞄にハンカチあるから、それあてて」 友貴「わ、わかった」 目を開ける。 ちょうど見里先輩が、ハンカチをあてがっていた。 ほっ。 太一「美希、いたむ?」 美希「ちょっとズキズキします」 太一「お茶、よく気づいたね。誰なの?」 見里「それがそのう……」 友貴「わからないんだ」 太一「なにおウ?」 見里「混乱してる時に、視界のはしに誰かいたような」 友貴「同じく」 遊紗「たぶんおなじく……」 そんなスーパー忍者みたいな意識読解技術を持つ人間と言ったら……。 彼女だ。 周囲を見渡したが、姿はない。 当たり前か。 と、冬子がライフセーバーの人を連れてきた。 全員が同時にぐったりとした。 美希「あ、ありがとうございます……せんぱい」 太一「え?」 美希「ずっとオチャオチャ叫んでたから」 太一「……俺も混乱してた。どーしてちゃんと説明できないかな、俺」 美希「感謝っす……」 太一「お茶の人にな」 美希「せんぱいにも、同じだけ」 涙目が、俺を見据えた。 太一「……そうか」 太一「ういやつじゃ」 美希「にゃー」 そして美希は、ライフセーバーの人に連れて行かれた。 霧「私、つき添います。先輩がたは帰ってて結構ですから」 太一「そうはいくまいよ。のう?」 友貴「うむ」 見里「待ってます」 霧「……えっと……ども」 不器用に一礼して、美希を追った。 太一「遊紗ちゃん、あいつらかーいーだろ」 遊紗「え? そ、そうですか? 大人っぽい人たちで……なんか……わたしひとり子供で」 太一「あの二人がせくしーに見えるか」 友貴「そりゃ遊紗ちゃんにしてみたら、ずっと年上だぞ」 太一「……」 ちゃん呼ばわりかよ。 はやくね? こいつもしかして、天然寝取り属性か? やっぱ要注意だな。 心中、友貴の監視レベルを1つあげた。 遊紗「でも……いい人たちですね。あの人たちも、せんぱいたちも」 太一「同じ釜の飯を食う者同士の結束力さ。うらやましいかい?」 遊紗「あ、はい、すごく」 太一「キミもじきに仲間入りさ」 見里「……堂島さんって、もしかして群青に?」 遊紗「はい、そうみたいです」 遊紗「ほんとは……私立の付属校に行く予定だったんですけど」 遊紗「……適応試験でやっちゃって……」 太一「安心したまえ。我々もだ」 見里「そーそー。うちの学校、いじめは絶対認めないから、居心地はいいですよ」 遊紗「……はい」 冬子「ちょっと、この子が入ってくる頃には私たちいないんじゃないの?」 冬子「鼻の下のばしてばっかみたい」 太一「浪漫を解さぬ輩は海の家でまずいラーメンでも食ってろ」 冬子「なによ」 太一「なんだよー」 友貴「よせって……堂島さんが怯えるだろー」 おいおい、ナイト気取りかこいつ。 監視レベルは3になった。4になったら寝取りハザードだぞ。 この俺が、それを許すかよ! 太一「あっ!」 俺はこけた。 友貴の海パンに手をかける。 太一「うわー」 ずるっ 島友貴。身長172センチ、体重59キロ、チン長12センチ。 最終進化過程をすでに迎えブロントサウルスにも似た迫力を兼ね備えているその器官が、いたいけな少女の眼前にずるむけにされた(二重に)。 遊紗「……………………」 友貴「う、うわあああああっ!?」 遊紗「……………………」 父親を知らない清純派少女は、ゆっくりと、顔色ひとつ変えず、悲鳴さえあげず……気を失って倒れた。 桐原は友貴の超竜ボーギャック(命名)を見てどこかに逃げてしまった。 口うるさいくせに軟弱者である。 見里「……ぶつぶつぶつ」 気絶した遊紗ちゃんは、宮澄先輩が介抱した。 その先輩にしても、呆れ半分照れ半分で、顔が朱色になっている。 太一「いやー、すまん」 友貴「気をつけてくれよっ!」 太一「すまんのう」 友貴「……終わった」 終われ終われ。 太一「落ち込むなよ、卒業まで俺たちはチェリーボーイズでいるって誓いを忘れたか」 友貴「そりゃそうだけどさぁ」 がっくりと肩を落とす。 友貴「はぁー……泳ぐかな」 太一「つきあおう」 太一「にしても友貴よ」 友貴「なにさ」 太一「俺はずっと気になっていたのだが」 友貴「うむ?」 太一「これは桜庭ではないのか?」 友貴「……うーむ」 友貴「最初の騒ぎで、誰かに踏まれたな」 太一「生きてはいる」 友貴「こいつはそう簡単には死なないって」 太一「一人足りないと思った」 友貴「馬鹿な海水浴だなあ、これ」 太一「楽しかったけどな」 言うと、友貴は嘆息しつつも、首肯を返してきた。 友貴「……まあね」 楽しい海水浴はこれでおしまい。 美希の傷は、ほんの少しだけ跡が残りそうだった。 それでも帰り道、本人は晴れ晴れとした顔をしていた。 傷ついたかわりに、何かを得たような。 そんな顔だった。 見里「ごめん、わたし学校にちょっと用事があります」 太一「用事なんですか?」 見里「部活のね、準備でちょっと」 友貴「生真面目なんだよ」 見里「……友貴は皮肉ばっかり」 霧「そんなことないですよ」 見里「え、そう?」 美希「宮澄せんぱい以外には言わないですよねー?」 霧「そうだね。島先輩は、ご立派だから」 友貴「誉めてくれんのはありがたいけど、照れくさいからもうやめて」 美希「おこられた」 霧「……おこられたね」 顔を見合わせてくすくす笑う。 遊紗「……くす」 遊紗ちゃんが、ぎこちなく追随した。 見里「じゃあ、ここで解散。おつかれさまでした!」 海水浴……か。 美希には悪いけど、思い出にはなった。 思い出は、心を豊かにしてくれる。 だから、こんなことも言えてしまう。 太一「気にくわないこともあるだろうけど、明日から部活、来てみないか?」 冬子「……え?」 困惑と戸惑いを貼りつけて、彼女は伏していた顔をあげた。 憔悴したその面差しが、緋色に色づけされてどこか悲壮な印象を与えた。 夜の自室。 太一「……うーむ」 夜は原稿書きだ。 いまいちはかどらない。 ありきたりな内容。 けど、とりあえずは進めておかないと。 太一「おもしろみに欠けるねぇ」 そうだ。 先輩に見てもらうか。 思い立ったが吉日。 すぐに家を出た。 先輩の家だ。 ノックをしてみるが、反応がない。 太一「せんぱーい!」 やはりレスポンスがない。 太一「あなたの太一が来ましたよー!」 シーン 留守かな。 太一「……」 まさか、まだ学校にいる? 太一「うわー、いるし!」 見里「わっ、ぺけくん?」 太一「無茶しすぎ!」 見里「ご、ごめんなさい」 太一「はー」 例によってというか、アンテナを組み立てていたようだ。 太一「こんな暗くて作業も何もないでしょーが」 見里「気になっちゃって……ダメですか?」 太一「ダメ」 太一「そんなことしてる暇があったら、原稿見てくださいよ」 見里「おや、もうできましたか?」 太一「途中です。でも意見聞きたくて」 見里「あー、でもこう暗いと……読めないですね」 太一「そですね」 太一「もういいですから帰りましょう」 見里「あ、でも……もうちょっと」 太一「みみ先輩……」 見里「だってぇ〜」 太一「焦って進めても、得るものはないんですよ」 見里「……」 太一「ゆっくりやればいいんです。違いますか?」 太一「時間はたっぷりあるんですから」 太一「それに急げば……それだけはやく終わってしまう」 太一「先輩、それに耐えられるんですか?」 見里「……っ」 泣きそうな顔。 背筋が痺れた。 つい、自分が禁忌を口走っていたことに気づく。 見里「……わたし、逃げてるんでしょうか」 太一「そですね」 見里「そう、見えちゃいますか?」 太一「見えちゃいます」 太一「作業に没頭することで、逃げてる」 アンテナを見あげる。 太一「無理矢理、仕事を作るようにして……わざと手間がかかるやり方で」 見里「……見抜かれてましたか」 太一「それが普通だと思ったんです」 見里「え?」 太一「先輩のしていることは、そうおかしなことじゃない」 太一「逃避をしたことのない人間なんていませんよ」 太一「けど先輩みたいに、必死に逃避しなければならないのは……つらいことだ」 太一「もちません、心は」 見里「…………」 太一「あなたは……30を越えているはずだ」 見里「…………」 太一「強度の自傷症状」 見里「…………」 無言という肯定。 俺はただ、言葉を重ねる。 太一「一人で作業するのはいい。けど追いつめられているなら……このまま単独で没頭するのは危険だ」 太一「……弾けたとき、ここが屋上だってことが、危険だ」 太一「わかってますか?」 見里「わかって、ますよ」 ぽつ、と言う。 太一「たいへん心配です」 先輩は眼鏡を外した。 涙ぐんだ瞳に、指の背を添える。 見里「ぺけくんに、心配されるくらい……不安定だったんですね、わたし」 太一「はは……その言い方は、失礼だなあ」 見里「あはは」 見里「君にこんなこと言われるなんてびっくりしました」 涙をぬぐう。 見里「……ありがとう」 太一「いいえ」 見里「だって……みんなバラバラで……このまま霧散するみたいで」 太一「俺は霧散してないですよ」 見里「だって、君はなんだか……動機が不純」 ばれてた。 太一「まあ」 見里「でも確かにわたし、意固地になっていたのかも」 太一「それに厳密には一人じゃないみたいですよ?」 見里「え?」 太一「これ」 先ほど、給水塔の下でひろった包みを見せる。 見里「差し入れ?」 太一「イエス」 太一「ただし中身はカレーパン」 見里「…………あ」 気づいて、口元を押さえる。 太一「あいつも最近、ちょっとナーバスみたいでなかなか顔見せないですけど、ね」 太一「あのバカ、自分の仲間が追い込まれるの、見てられない性格してますから」 太一「こんな傷みかけのカレーパン持ってきて」 見里「でもぺけくん、嬉しそう」 太一「食べます?」 先輩は小さくうなずいた。 二人で、カレーパンを食べた。 太一「……さてと」 まだ気温もそう高くない午前中。 一人屋上に来る。 アンテナと土台の鉄塔を見あげる。 確かにこれは……一人で行う作業じゃないな。 素人によっていびつに組み立てられたアンテナ。 波長と指向性の怪物みたいな姿になっていた。 太一「さて」 作業に取りかかることにした。 とはいえ、専門知識などないに等しい。 けど平気だ。 見里先輩にそれとなく探りを入れて聞きだしてある。 太一「確か……こうで……こう」 ……。 …………。 ………………。 太一「くそ、わからん」 黒須太一、文明の利器にはちと弱め。 友貴「……なにしてんのさ」 太一「いや、こうやって作業進めておけばぺけくんすごいです大感動です濡れちゃいますブチューッ……みたいな。よっ、友貴先生」 友貴「ブチューはないだろう」 友貴「部活か」 太一「そうそう」 友貴は気怠げに地べたに座る。 友貴「ほれ」 太一「お、サンキュ」 缶ジュース。 あまり冷えてはいなかったけど。 友貴「……太一は、どうしてそんな熱心なん?」 太一「お、マジ質問青春風味」 友貴「わけワカメだよ」 太一「ちょー面白い、そのギャグ」 友貴「おいおい、おまえ自分でこんなモノ寄こしておいてはぐらかすなや」 友貴は一通のハガキを出した。 太一「寄こしたというか、人間の手で投函したんだけどな」 友貴「……どうして部活なん?」 太一「俺からも一つ、いいか」 真面目な顔で。 友貴「ん?」 太一「おまえと……姉さんに関わることだけど、いいか?」 友貴「…………」 太一「真面目な質問だ」 友貴「……OK。なに?」 太一「うん」 少しこわごわと、質問を押し出す。 太一「どうしておまえは関東の人間なのにたまに『〜なん?』とか『そうやん』とかのエセ関西弁をまじえるんだ?」 友貴「最高に姉貴と関係ない質問だよ!!」 友貴「帰る……」 太一「まーまー、待ちたまえよ。ロマンは一日にして成らずだ」 友貴「気を抜いてくれてありがとう太一くん」 太一「そうシニックになるな」 太一「つまりあれだよ。ほら、目的があった方が生き甲斐が出るだろ?」 友貴「……生き甲斐ね」 友貴「けど生きる糧があるならそういうのもいいけどさ」 太一「それにこういうの、憧れてたんだ」 友貴「こういうのって?」 太一「青春群像グラフティー」 太一「どんな味なんだと思うよ?」 友貴「いや、お茶じゃないから」 友貴は立ち上がり、アンテナの周囲をまわった。 友貴「それで……それだけで?」 太一「することがあるのはいいもんだ」 友貴「……あるじゃん。別に。物資探すとか、さ」 太一「少なくともこの部活は、希望がある」 友貴「絶望を確認することしかできないかもよ?」 太一「絶望を確認するという希望がある」 友貴「……わかんないよ、太一の考え」 太一「そーかー?」 友貴「どうしてそんな楽しそうなんだ」 太一「へっへ」 友貴「ほんと、信じられないね」 友貴は腕で目元をぬぐった。 友貴「僕にわかるのは……このアンテナとモービル用機材の結線だけだ」 太一「とっとと頼む」 友貴「なんだよー、もちょっとそれっぽく感動とかしろよー」 太一「ばか、内心泣いてるっての。号泣だっての。泣き感動路線だっての」 友貴「そうは見えない〜」 太一「男同士でジメジメしたって寒いだけだ、そーいうイベントは貴様のねーちゃんと起こすわい」 友貴「ひでー!」 太一「さあ、そうと決まったらとっとと働け! 放送予定日は明日じゃい」 友貴「へいへい」 友貴「じゃ機材、調達してくる」 友貴「じゃ機材、調達してくる」 友貴「……太一?」 校舎に戻る足を止め、友貴。 太一「ん?」 友貴「……てっきり姉貴と仲直りしろとか言うのかなって思ってた、姉貴を手伝えよ弟だろって」 太一「いや、姉弟喧嘩なんてごくまっとうな人生じゃん。止めんよ」 友貴「……」 太一「要するに俺様を手伝えということだ」 胸を張る。 友貴「……おまえ大物」 太一「適応係数80オーバーのオーバーロードですから」 友貴「……そのオーバーロードとも、これからも普通に友達してやるよ」 友貴「そういうの、嫌いじゃないから」 さっと校舎内に消えた。逃げるように。 太一「キライジャナイカラ……ププ!」 そう言った友貴は、一瞬で人類の限界まで赤面しきっていた。 太一「照れるくらいなら言うんじゃねーっての。まったく」 アンテナを見あげる。 太一「でも、これでちっとは進捗《しんちょく》すんな」 楽しい部活ごっこ。 大切な思い出となりえる。 いつか、楽しい夢を見るための——— きっと。 ずっと。 ありがとうと、思うため。 俺は戦っている。 そして、日曜日。 屋上。 すべての準備が整う。 太一「ご苦労様です」 見里「……ぺけくんも」 先輩は少し、ぼっとしていた。 だから俺は告げた。 太一「まだ終わったわけじゃないですよ」 見里「……そうですか?」 太一「この放送局を、ずっと維持していかないと」 見里「……」 見里「そうですね」 太一「よしなに」 見里「はい」 握手。 先輩は工具をまとめて脇に置き、アンテナを見あげた。 見里「放送、できますね」 太一「ええ」 見里「放送したからといって、それですべてうまく行くとは限りませんけど」 そうだろうと思う。 でも無意味ではない。 ただ動いていたかっただけなのだから。 何かしていなければ、心の均衡が取れなかっただけ。 俺もまた、そうだ。 だけど俺の理由は、みんなとは少し違う——— 見里「ぺけくん、原稿はできましたか?」 太一「は、はい、一応……」 実はできてない。 先輩はにっこりと笑う。 見里「じゃあ、あなたがDJをやってくださいね」 太一「い?」 見里「今からチェックする時間も、リテイク出す暇もありませんし」 見里「お任せします」 太一「は、はあ」 かえって好都合かもしれない。 だって原稿、白紙なんだから。 適当にでっちあげねば。 友貴「太一ー、機材運ぶの手伝ってくれる?」 太一「おっけー」 やってきた友貴が、先輩を一瞥する。 見里「……」 友貴「……」 視線がそれる。 以前ほど刺々しくはない。 今はそれで十分。 これから、どうしたって顔をあわせて生きていくことになるんだから。 時間だけはある。嫌になるほど。 それから俺たちは、機材を運んだ。 屋上でモニターするためだ。 初回の放送は屋上から実況するのが、この企画の趣旨だった。 太一「ラバのヤツ、こんな時でも豪快にサボりやがる」 友貴「……今にはじまったことだろうか」 太一「だな。あのアホウ」 桜庭「まったくだ」 太一「……」 友貴「……」 桜庭「……」 太一「おわっ、桜庭! なぜここに!?」 桜庭「友情は見返りを———」 太一「求めない」 ぐっ 俺たちは不敵に笑いつつ、親指を立てあった。 友貴「いや、使いどころ間違っているし」 太一「久々だな、ラバ」 桜庭「うむ」 冬子「……げ、三馬鹿」 太一「お」 冬子たちが来ていた。 たち。 背後に、美希と霧もいる。 美希「おふぁよーござーまーす!」 元気に両手をあげて、叫んだ。 その大声に霧が、眉を寄せて肩をすくめる。 光景がそこにあった。 七人の平常という名の。 失われたはずの。 見里「ぺけくん、これは?」 衣服のはしを、先輩はくいくいと引っ張った。 太一「まー、ちょいと手を打ったです」 見里「手を打ったって……だってぺけくんだって?」 太一「スーパーディレクターですから、そこはうまく」 見里「……」 先輩は泣きそうな顔をした。 一分ほど無言だった。 やがて。 見里「全員集合、ですね」 太一「YES、BOSS」 全員集合。 この先、こんな機会があるのだろうか。 いや、この結束をこれから維持していけばいいのだ! ……なんてな。 そんなことはできない。 だから。 今だけに。 思い出を。 太一「注目」 片手をあげて皆に呼びかける。 太一「では放送部の再集結を祝って、これよりパン屋を再襲撃します」 友貴「なんでだよ」 桜庭「そう思ってカレーパンを食う準備をしておいた」 友貴「嘘つくな」 見里「パン屋さんって、あの元ヤクザ崩れの方がやってるとこ(※)ですか? この七人で勝てるんですか?」※田崎商店 太一「あなたも本気で検討しない」 友貴「でも揃うのは確かに久しぶりだね」 冬子「……どうして私を見るのよ」 桜庭「それは貴様が部活に全然出ようとしない裏切り者だからだ」 太一「おまえが言うな」 友貴「おまえが言うな」 殺傷力の高い一本拳によるツッコミ(暴力)が時間差で入る。 無言で桜庭は沈んだ。 ちなみに男三人衆の役割分担は、 桜庭=ボケ 友貴=ツッコミ 太一=オールラウンダー となっている。 太一「彼女の心を解きほぐしたのは俺だ。愛の力なのだ」 冬子「抱きつくな!」 友貴「……本気で嫌がってるよ?」 太一「でも体は正直なんだ」 冬子「煮るわよ!」 ひじうちがゴスゴス頭部に入るけど気にしない。 美希「桐原先輩っ!」 美希が冬子の尻に抱きついた。 冬子「うやあっ!?」 オクターブ高い悲鳴があがる。 美希は尻をもみしだく。 冬子「や、やめてよ山辺!」 美希「やわらかい……やわらかすぎて……」 太一「桐原、君はルックスだけは最高だ!」 冬子の顔が引きつる。 冬子「離して! 触らないでよっ!」 美希「せんぱ〜い」 友貴「セクハラ集団だな」 桜庭「ああ」 冬子「見てないでなんとかしてよ!」 桜庭「民事不介入だぜ」 冬子「警察か!」 見里「桐原さん、体調の方はもういいんですか?」 冬子「普通に会話する前に、まずこの猿二匹をどうか」 見里「でもその子たち本能で生きてるのでどうにもなりませんから」 冬子「なごやかに言われても……って、ちょっとどこ触ってんのよっ!?」 冬子「あっ、やんっ、ちょ……もうやめてよー!」 泣き出す。 太一「あ……」 美希「あ……」 慌てて離れる。 桜庭「ぐすっ」 太一「どうしておまえが泣くんだよ!」 桜庭「だって桐原、泣いてるぜ?」 美希「もらい泣きですね」 桜庭「超切ない」 友貴「てんそ(天然素材)なんだって」 太一「とにかくごめん、桐原」 冬子「…………ばか……じゃないの」 平手で背中を叩かれた。 太一「いってぇ!」 鞭みたいな痛さだった。 まあ当然の報いか……。 霧「……はあ」 霧がそっぽを向いて、ため息をついた。 太一「ほら、飴あげるから」 冬子「……イラナイ」 顎をつかんで、強引に飴を押し込む。指ごと。 冬子「んんんんっ!?」 太一「ママの味をくらうがよい」 逃げようとするが、顎をつかんで離さない。 冬子「んっ……んむっ、んっ、れろっ……」 太一「ひとーつ、ふたーつ……さあて、この可愛らしい穴にいくつ入るかな〜?」 冬子「んんっ、んむっ、んん、ん……ふっ……ん……」 太一「イヤだったら、指ごと噛みきってもいいんだぞ?」 ぼんやりと開く目に、かすかな敵意がある。 が、口内をかきまわし、舌を絡め取って引っ張ると、ぎゅっとまぶたを閉じた。 冬子は口の中が敏感らしい。 太一「みーっつ、よーっつ……クックックック、そぉらそらそら」 根本まで押し込んで蹂躙を尽くす。 冬子「んくっ、ん、れる……んふっ、んんん……〜〜〜っっ」 太一「クックック、甘いだろう?」 見里「あわわわわ」 美希「エロエロエッサイムエロエロエッサエム……」 友貴「た、たいちぃ、そんなことしたらダメだよぅ、えっちすぎるよぅ(小児化)」 霧「だ、だから……この人は危険だって……わたしは……」 桜庭「俺的にはギブミーキャンディの一点、それだけだ」 一人をのぞき、全員がガクガク震えていた。 太一「クックック……はっ!?」 謝るつもりがイジメになってる!? 太一「あ、ごめんごめん」 解放してやる。 ぬるりと指が抜ける。唾液が糸を引く。 冬子「……ん、あんっ……」 よろめきつつ距離を取る冬子。 太一「まーとにかく、糖分を摂取して元気に生きてくれ」 冬子「はぁ、はぁ……」 しばしぼんやりとしていたが、我に返ってキッと俺を睨んだ。 リスみたいに口をあめ玉でいっぱいにしながら。 冬子「……ばかっ……ばか太一っ」 美希「言い返せないですね」 太一「うむ」 霧「……子供集団」 見里「はいはい、レクリエーションはそこまで」 パンパンと手を叩く先輩。 冬子「……レクリエーションじゃなくて……セクハラ」 スルーされた。 見里「佐倉さん、桐原さん」 疎遠組の二人に呼びかける。 霧「なんです?」 見里「せっかくですから、改めて一緒にどうですか?」 冬子「……」 見里「部活といってもたいした作業もありませんし、ただ見物していくだけでも暇つぶしにはなるでしょう?」 霧と冬子。 二人は互いに、軽く目線を交差させた。 この二人の立ち位置は、それぞれ微妙に違う。 霧「わたしは」 霧「わたしは、美希に呼ばれただけですから」 見里「だめですか?」 美希「霧ちん……」 霧「……美希が帰るまで同行するだけです」 美希「あは」 空気が緩和する。片方だけ。 もう片方はと言うと、なお渋面のまま止まったまま。 あめ玉が詰められた口を手で押さえて、言葉を紡ぐ。 冬子「支倉先輩が来いって言うから来たんです!」 冬子「けど……いないみたいですから……」 帰ろうとする。 腕をつかむ。 太一「あのね、それ俺」 冬子「はあ?」 太一「自分の名前じゃ来ないかなーと思って」 冬子「帰る」 太一「まあまあ」 冬子「あんたに呼ばれたんだったら最初から来なかった!」 太一「そう怒らんと」 冬子「いっつもそうやって都合良く振るまって! あのときだって!」 冬子「人のことからかって馬鹿にして、ただ玩具にして、あんたは楽しいでしょうよ! けどこっちの気持ちくらい少しは考えたらどうなの!? 自分が傷つかないからって人もそうだなんて思われたら迷惑よ!!」 美希「チワーが……」 ※チワー=美希語。痴話げんかの意。 友貴「止めないの?」 桜庭「あめ玉を所望する、太一」 見里「相変わらずですねぇ、桜庭君」 霧「部長が止めるしかないような気がします」 見里「そ、そうね」 見里「えっと……」 見里「こらあ」 冬子「○&□%▽×◇$#っっっ!!」 桜庭「効果0とお見受けします」 見里「ぐ……」 ダメだ。自力で収拾するしかないらしい。 太一「冬子」 冬子「なによ!」 太一「俺は、おまえの怒った顔が好きなんだよ」 冬子「ナニ、イッテンノ?」 太一「だからこれからも仲良くケンカしようじゃないか」 冬子「……………………」 はーっと虚脱する冬子。 冬子「……もういい。疲れた」 太一「わかってくれたか」 冬子「疲れたって言ったの。さっさと部活はじめたら?」 太一「帰るなよ」 冬子「……好きにすれば」 肯定と理解。 手を引いて、皆の元に。 冬子はうつむいたまま、何も言わなかった。 太一「隊長、なんとかかんとか、失われた日常の再現に成功いたしました」 見里「は?」 太一「もとい、ツギハギだらけですが人間関係の修復を終えました」 見里「は、はあ」 釈然としない顔。 当然か。彼女たちにはそれぞれ、また異なる視点があるのだから。 見里「とにかく、久しぶりに勢揃いということですね」 太一「イエッサー」 七人の空気が、懐かしい。 部活のはじまりだった。 見里「ぺけくん、準備お願いしてもいいですか?」 太一「はい、お任せを」 太一「その前に、トイレに行って小さい方を」 冬子「黙って行きなさいよ、ばか」 太一「ふーんだ」 あとでまたハラスメントしてやる。 桜庭「あとでハラスメントして気をハラスとか思っているな?」 太一「そ、そこまで思ってへんっ!」 太一「ふいー」 腹いせに女子トイレを使ってやったわ。 しかも冬子がいつも使ってる個室だ。 太一「ふふん」 勝ち誇りつつ、汲みおきの水で手を洗う。 鏡に、彼女が映っていた。 手が止まる。 太一「曜子ちゃん?」 曜子「……」 太一「学校、来てたんだね。あいもかわらず神出鬼没で」 曜子「部活ごっこ、楽しい?」 返答があるとは思ってなかったので、驚いた。 太一「……部活ごっこじゃなくて部活だけど」 曜子「でも、意味ない」 太一「んなことない」 太一「たいそう意味があることだよ。俺のためにも、みんなのためにも」 笑う。 そう、部活は実に有意義だ。 曜子「……」 太一「家でじっとしてられない性格なんだよ」 太一「で、そんな皮肉を言うためにわざわざ?」 曜子「皮肉なんて……言ってない……」 声がしおれる。 太一「制服まで着ちゃって」 太一「せっかくだし参加してく?」 曜子「……」 太一「部活だよ。これから放送するんだ」 曜子「あんなおもちゃじゃ、何もできない」 太一「もちろん気休めだよ」 曜子「意味がない」 太一「気休めって意味がある」 曜子「……遠慮する」 太一「俺がお願い参加してってすがりついたら?」 曜子「行く」 簡単だった。 太一「……」(思案) 太一「今履いてるパンツくれっておねだりしたら?」 彼女はスカートの中に手を入れた。 太一「あー、やっぱいーや」 曜子「……」 彼女の動きが止まる。 鬼畜ゲームの主人公ですか俺は。 太一「じゃあ……遠くでいいから、見ていきなよ。君は人間嫌いなんだろうけどさ」 曜子「嫌いじゃない……興味ないだけ」 淡々と言う。 これでも、一生懸命無理して喋ってるのだ。 他の人間には、時に必要なことさえ告げようとしない。 太一「でもせっかくのイベントなんだから、一緒に参加してってもいいだろう?」 曜子「……ん」 小さく頷くと、彼女はトイレから出ていった。 太一「しかし」 女子トイレに入ったって、よく気づいたな……。 さすがスーパーくの一。 トイレを出る。 太一「ところで女って字を分解して『くの一』って呼ぶってご存じでしたか?」 美希「初耳っす。じゃ」 とすれ違いにトイレに入っていく。 太一「あの……女子トイレに入ってたことはどうかナイショに」 すがりついた。 美希「そーですねー、どーしようかなー」 太一「特に桐原にだけは」 美希「じゃー霧ちんには言ってもいいんですね?」 太一「ああん、それもダメェ〜」 我が校屈指の二大冷血女じゃないですか。 美希「美希、ナタデココ食べたーい」 太一「か、寒天で良ければ」 美希「それじゃあこの口はペペラペラと開いてしまいそうですなぁ〜」 太一「お慈悲!」 太一「どもども」 見里「ちょうど準備ができましたよ〜」 太一「この激スーパーカリスマDJの出番ですね」 桜庭「スーパーカリと言うと即ち……」 太一「セヤッ!」 後ろ回し蹴り。 桜庭「ぐふっ」 桜庭「ぐふっ」 太一「娘っ子たちの前でそういうこと言うんでねぇっ!!」 友貴「もうみんな知ってるって」 桜庭「……メチャいたいぜ」 打たれ強い桜庭は、たいしてこたえていなかった。 見里「はーい、三流コントはそのくらいにして、とっとと始めましょうね」 三人「へーい」 男衆はのたくたと動き出す。 霧は少し離れて、一同を見守っていた。 孤立している彼女は、美希がいないと所在なげだ。 太一「へい!」 霧は応じず、そっぽを向いた。 苛立って、踵を打ちつける。 やれやれだな……。 美希「おまた」 美希が戻る。 ごく自然に、霧のそばに立つ。 この二人。 霧の方が保護者のように見えて、その実、美希が中心になっている。 傍目の力関係と、実際のそれは正反対なのだ。 その支配性を感じさせる構図に。 心がざわついた。 けど今は放送のことを考えないと。 原稿も初期稿しかないし。 そういえば、曜子ちゃんの姿が見えない。 参加すると言ったからには、どこかにいるはずだ。 探る。 半径20メートルには動きの活発なものは六つ。 ただその先に、かすかな違和感がある。 給水塔。 太一「いた」 案の定というか、給水塔の上に潜んでいた。 小さな影がかすかに動いている。 彼女だ。 ほんの身じろぎほどの動作。 だがわずかでも動があれば、俺にはわかった。 この味気ない世界で、俺は誰よりも鋭敏になれた。 太一「ほんと興味ないんだな」 友貴「え? 何?」 太一「あー、友貴に言ったんでなくて」 太一「さー放送放送」 美希「この放送、なんか番組名はあるんですか?」 見里「んー、決めてませんでしたね」 桜庭「はい」 見里「どーぞ桜庭くん」 桜庭「恐怖地獄放送局」 見里「えいっ」 ぼぐぅ 部長パンチが桜庭にめりこんだ。 見里「却下でーす。他には?」 桜庭「いたいぜ〜」 友貴「君は本当にバカだな」 桜庭「でもでも、こういうのはインパクトじゃん?」 太一「じゃあ適当にバンバン言ってみるか」 友貴「うん」 太一「スーパー忍者」 見里「……」 美希「セクハラ武士道」 桜庭「淫妖美群〜著・夢○漠〜」 友貴「放送倶楽部」 最初の一つで方向性が決まってしまったらしい。 太一「スーパー忍者」 美希「くるくるぱー放送局」 その場にいた全員が、事務的かつ義務的に美希をこづいた。 美希「いたた……しどい……」 見里「不謹慎禁止」 美希「しぃません」 仕切り直し。 太一「スーパー忍者」 友貴「それがイチオシなのか……」 桜庭「どんな忍者だ」 太一「なんつうか超スーパー、メガフューチャー」 身振りで説明する。 太一「十メートルくらいある壁とか飛び越える。で、愛刀・木枯丸でバッサバッサと」 友貴「悪代官を斬る?」 それもベタでつまらんな。 太一「あー」 太一「町娘を斬る」 友貴「サイコパスだよ!」 桜庭「……サイコパス」 見里「却下」 友貴「少しは加工しなよ」 桜庭「難しい」 見里「マイナス方向から離れてくださーい」 先輩がメガホン(あった)で叫ぶ。 太一「うーん」 太一「みみみ先輩の桃色Gスポット」 見里「セヤッ」 ぼぐぅ ぼぐぅ 殴られた。 美しい中段の正拳であった。 太一「おうふっ」 見里「下品なのはいけませんのでありましょう?」 太一「ウイー」 桜庭「DJはフラワーズにしよう」 太一「え゛!?」 美希「霧ちんにきいてみませんと」 太一「そ、そんな、ちょっと……」 桜庭「ギャルであるべきだ」 太一「あー」 わかるが。 未練だ。 美希「ではでは」 美希「ではでは」 走っていった。 美希「———」 霧「———」 戻ってきた。 美希「寝言は死んでから言えこのチヌ野郎ども、だそうです」 桜庭「ふっ……相変わらず、手厳しい」 桜庭は嬉しげにクネクネした。マゾだから。 太一「チヌって何だ?」 見里「チヌダイのことですね。変な顔したタイですよ」 桜庭「変な顔?」 見里「こーんな感じです」 太一「てめー霧、夜道を歩く時は貞操に注意するんだな!」 霧「……(ぷい)」 太一「もきーっ、あの小娘ーっ」 友貴「まあまあ」 桜庭「オラ、なんか疲れてきたぞ」 見里「君が言いますか」 さすがに厭戦気分が漂いだした。 プチ人格破綻者たちの交流なんてこんなもんです。 太一「そうだ、桐原の意見は?」 冬子「は?」 太一「いちおう部員なんだし、何か言えこのスベタ」 冬子「ふん」 迷惑そうに鼻を鳴らし。 冬子「……馬鹿'S(おバカちゃんたち)」 桜庭「おのれ! ちょっと金持ちだという分際でよくも馬鹿にしてくれるものだ!」 友貴「おまえだよ」 太一「おまえだよ」 同時に同等のツッコミ(暴力)が、桜庭をマットに沈めた。 友貴「しかもおまえ金持ちでバカじゃないか。そのままだ」 桜庭「……スマヌ……」 太一「確かにこいつはバカだがその案はいただけないな、桐原」 冬子「……つーん」 美希「決まりそうにないですね」 太一「先輩の意見は?」 見里「……そうですね」 さすがにこのバカどもに任せてはおけないと考えたのか。 先輩は腕組み、考えた。 見里「ぺけくんがDJとして……黒須チャンネル」 桜庭「安易だ」 太一「だが一番まともだ」 美希「しかも気になるアイツの名前がついてて激キュート!」 美希「……と霧ちんがわたしの耳に熱く囁いたのでした」 霧「言ってないっ!!」 遠くで怒る霧。 太一「くそう、本音を隠して俺を萌えさせるそんな貴様にデートを申し込むぞ、佐倉霧!!」 霧「言ってないーっ!!」 友貴「さておき……黒須はCROSSでいいんじゃない?」 見里「ああ、英単語の?」 先輩に話しかけられて、一瞬友貴は戸惑う。 友貴「……まあ」 見里「CROSS CHANNELですか。うん、いいですね」 複雑な顔のまま。 友貴「まあ、いいんじゃないの……」 見里「ぺけくんはどうですか?」 太一「小生めの名を冠していただき、恐悦至極」 桜庭「待て」 太一「なんだね同志ムッツリーニ。よもやこのお素敵ネーミングにクレームをつけようというムッツリした魂胆ではあるまいな?」 桜庭「CROSS CHANNELではなくCROSS†CHANNELがいい」 友貴「わからない……本当にこいつはわからない……」 太一「いいな、それ」 友貴「わかるのかよ」 桜庭「自信アリ」 太一「おまえにしてはなかなかのアイデアだと認めよう」 決まり。 群青学院放送局・CROSS†CHANNELの開局だった。 太一「よし友貴、放送だ! ボイラーに火を入れろ!」 友貴「ないよ」 桜庭「面舵いっぱい」 友貴「船か」 なぜか友貴のツッコミは事務的だった。 冬子「馬鹿トリオ」 苛立たしげに呟く。 太一「馬鹿じゃなけりゃ、少なくともここに全員は揃わなかったさ」 冬子「?」 見里「本当に全員……だったら良かったのに」 ほ、と大きく憂鬱玉を吐き出す先輩。 太一「とにかく桐原、せっかく来たんだから俺の流ちょうなトークに濡れていきなよ」 冬子「……ばかすぎ」 向こうを向いて、冬子は飴玉を口に放り込んだ。 バリバリと噛み砕く。 太一「照れたの?」 下方から顔をのぞきこむ。唇間の距離は五センチ。 冬子「きゃいやーーーーーーーっ!?」 冬子は『きゃあ』と『いやぁ』を融合させた斬新な悲鳴をあげて、人の顔に拳を叩き込んだのだった。 太一「じゃ、はじめるか」 美希「映像出ないメディアで良かったですね」 太一「まったくだ」 殴打のあとを見せられるはずがない。 用意されたマイクの前に座る。 夕方のほどよい風。 優しく屋上をさらって、熱気の残り香をすくい取った。 気が引き締まる。 曜子ちゃんに目線を送り、親指を立てた。 曜子「……」 すぐ親指を返してくる。 見里「……支倉……さん?」 やりとりを見て、気づいたのは部長だけだった。 太一「イエース」 太一「全員、いるのです」 見里「ぺけくん……が?」 太一「確かに部活ごっこには違いないけど」 空疎で。 怠惰で。 どうしようもない欺瞞《ぎまん》でありながら。 太一「今という時には、必要なことですよ」 見里「……」 先輩は凍りついて、その場に立ち尽くした。 見里「でも、私はただ……」 見里「そんな尊い理由で……っ!」 太一「いいんですって、そーいう本音みたいなことは」 太一「みんなで部活。はいオシマイ」 見里「私は……」 ここに全員いる。 みんなが、ここにいる。 単に、放送部員がいるという意味だけじゃあない。 幾多の嘘と騙しの上に成立した、仲良しこよしの残骸だ。 そんなものが、この世界に生きる俺たちの寿命を、心の崩壊までのリミットを、少しだけ延ばしてくれる。 友貴「いいぞ、太一」 美希「6時まであと5、4……」 美希が口を閉じ、指を一本ずつ減らしていく。 3。 夢見ていた。 2。 こういう他愛ない部活動、普通のガクセーらしい日常を。 1。 思い出があれば、俺はそれでいい。 0。 満足だ——— 息を吸う。 原稿を手放す。 夏の香りを含んだ夕風が、悪戯する手つきでそれをさらっていく。 見里「あっ?」 原稿は連なって飛び立ち、千々に乱れて中空に散った。 さあ放送だ。 太一「こちら、群青学院放送部」 たとえ無駄だとわかっていても。 すがりついて生きていく。 そして俺は、力強く言葉を押し出した。 生きてる人、いますか? 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